都会からの転校生の皆が皆そう感じるとは限らないだろうが、主人公である玲奈は以下のように感じている。
……同級生は騒がしいサルと鈍重なウシにしか見えない。あの群の中に入って行くと思うと気が重くなる……(3頁上段3行目~)
……玲奈は同級生を否定することで自分を保とうとしていた……(4頁下段後ろから2行目)こういう視点に立つ少女がクラスに馴染める訳はなく、じきにいじめの前段であるからかいの対象となる。「うんこ」や「エンコーおんな」の一件であり、あるいは靴がゴミ箱から出てきたり、傘がなくなっていたりする。
いや、最近のいじめを原因とする自殺予告以来、これも「いじめ」の前段ではなく「いじめそのもの」と見る人の方が多いかもしれない。
ただし、われわれは教育者ではないし、一介の同人誌での物書きに過ぎないので、いきなり「いじめはいかん」というような場所へは出て行けない。
15頁上段12行目の教師の言葉、
……「あなたがそんな風だから、いじめられるんでしょう」……そんな風というのは、玲奈の机に紅のチョークで書かれていた「エンコーおんな」という文字を消さない態度を指しているのだが、その言葉によって、それまでいじめに遭っているという自覚がなかった玲奈が突然自分がいじめに遭っていたのだという認識に至ってしまう。
……玲奈は同級生を拒絶することばかり考えていたが、実際は玲奈の方が周囲から拒絶されていたのだ……文学的世界において、いや現実世界においてはもっと、人間はどこか相対的であって、お互いを映し合う鏡のような存在である。お互いがお互いの表情に「否定」や「拒絶」を見出すと、それがまた自分の表情に現われ、それがまた相手の思考や感情に直接に伝わってしまう。
そういった側面から見れば、小学生・中学生たちを苦しめる「いじめ」も、パレスチナやイラクで生じている民族の存亡を賭けたアゴーン(=闘争)も、そういった強いコレスポンダンス(=照応)に満ちた相対性原理から発する、人間という不合理な存在の不合理の露呈と見えないだろうか? それをこそ物書きは察知して表現し提示すべきなのだけど……。
どうも、おかしな読み方になり、話が誇大妄想めいて来てしまいました。
面と向かって口には出さないまでも、玲奈が同級生を「騒がしいサルと鈍重なウシ」という否定的見方をしていることが、同級生たちの言動にダイレクトに反映して、その結果が「うんこ」や「エンコーおんな」なのである。
誰も、自分を嫌っているらしい相手に優しくはしない。
ただし、みんなが皆そうではなく、結末に近くなって同級生のテッチが認知症めいて散歩に出たまま帰らない祖母を連れて来てくれるのに、祖母を探しに出た玲奈は出会う。
ここでは、祖母にベンチコートを着せ、歌を歌って調子をとりながら歩いてくるテッチ、あるいは祖母を背負って歩くテッチのキャラクターと九州訛りがとても生きています。
「騒がしいサルと鈍重なウシ」のなかのひとりであったテッチが人間の子になり、優しい個として描かれています。
とここまで書いて来て、やはり惜しいのは、
「あなたがそんなふうだから、いじめられるんでしょう」という教師の言葉に洗脳されたかのように、玲奈が自分がいじめに遭っていたと認識し、泣く、その不自然さですね。
この作品の他の側面についてはすべて捨象して、作品を貫いている玲奈といじめという一本の筋についてしか言及出来ませんでした。
ひわきさん、とてもとても変な読み方になってしまいました。ひわきさんの作品への感想が最後になってしまったのには、自分のこういう変な読み方に戸惑っていたからでした。
これも、こういう読み方もあるという程度の読み方ではあります。感想を書くのが難しい作品ではありました。悪しからず読解のほどを。
今日は終日Excelでの入力作業。いわゆる法で定められた受払い簿の作成。こういう単純作業は30分で眠くなります。
昨夜は、結局表題作である「石の葬式」一編のみを読了。全編通読するまでは何も「言わ猿」。
フリーのバックアップ・ソフト「Bun Backup」を「窓の杜」よりダウンロード。いつもはVectorなのだが、先のウイルス騒動で自然に「窓の杜」へ足が向いてしまいました。
ミラーリングで同期をとるので更新されたファイルのみ上書き保存する。ということで、時間短縮になる。手作業でバックアップもいいが、更新、未更新含めてその都度全ファイルをバックアップしていたのでは時間がかかっていらいらする。更新されてないファイルはそのままでいいのだから。
ポータブルHDDが接続されると自動的にバックアップ開始という設定も可能。でもその都度だとうるさいから、結局は自動はやめて自分で任意にバックアップをさせるのがいちばんか。一応、使用テスト。
さて、『石の葬式』の続きを読もう。実は最初の表題作が面白かったのです。
ひとつの村の住人のいろいろな視点から書かれている短編(あるいは連作)集。フォークナーとかジョイスとか、こういうポリフォニーの小説って好きなんです。それに比べたら一人称私小説みたいなモノフォニーの小説なんて……(あ、こんなことを書いては迫害されますw)。モノフォニーも藤枝静男風だったら頭が下がります、念のため。
それにしても、体が三つ欲しい。
拙作を読んでいただき、ありがとうございます。評を拝読したままお礼が遅くなり、申し訳ありません。教師の言葉で初めていじめに気づくのは、やはり不自然ですか。私は硬派のツッパリ女の子を好もしく思います。ツッパリって、ものすごく危うい状態ですよね。自分に自信があるわけではなく、自意識だけは持て余すほど。心の内にアンビバレントな揺れを抱えています。そんなことを書きたかったのですが、イメージの捉え方がまだまだですね。
返信削除「英語で小説を」は、おもしろいでしょうね。ネイティブではない独特の表現ができるように思います。ちょっと違いますが、以前ある方から「文章が翻訳文体になってますよ」と言われました。柴田元幸と村上春樹の訳本ばかり読んでいた頃です。「used to」を「~したものだった」と訳す場合が多いように思いますが、確かに「~したものだった」は不自然かもしれませんね。でも、なにがしかの雰囲気は出せるように思います。
いいえ、かなり偏向した読み方でかえって恐縮です。
返信削除よこいさんとちょっとお話しましたが、人の作品の感想、批評を書くのは体に良くないような気がいたします。しかもメールでご本人だけに送るならともかく、ブログ、ネット上に公開するのは、自分の読みの不確かさを自覚させられ、ほんとうによこいさんのように胃の調子が悪くなりそうな気がします。
>教師の言葉で初めていじめに気づくのは、やはり不自然ですか。
いいえ、教師の言葉でいじめに気づくのは不自然ではないと思います。ただ玲奈が自分がいじめの対象であったことに気づいて、ただそれだけで泣いたりするのはちょっとと思うのです。たとえ小学生であっても、教師の言葉をヒントに、玲奈がいじめの中に置かれた自己の本当の姿を認識する、そういう表現が一ヶ所でもあればちっとも不自然ではないと思います。
ああ、なかなかうまく言えません。
翻訳物を読んでいると書くものが影響されること、ありますね。
村上春樹を読んでいた時など、文章の中にむやみに「やれやれ」が入ってしまい、ひとり赤面して削除した記憶があります。