2006年12月18日月曜日

これこそが言葉の力

 本日は、右サイドバーのBookmarkにブログをひとつ、ウェブサイトをひとつ、相変わらず承諾も得ずに勝手にリンクさせていただいた。(インターネットは自由なリンクによって形成されているという屁理屈によって)
 ブログ名、サイト名は書きませんが、それぞれ一番上に表示されています。サイトの方はG・マルケス一色のサイトで、今まで気づかなかったのが不思議なくらい。更新は昨年8月で停止しているが、掲示板を見ると今月の書き込みがあるから大丈夫、生きています。
 ブログの方は(ブログ名がまた何とも迫力がありますが……)RSSリーダーのキーワード登録の「フラナリー・オコナー」でヒットした記事で、オコナーの絶筆であるらしい「パーカーの背中」について5回にわたって書かれていて、それにいたく感心し、また他にも勉強になる過去記事がたくさんありましたので全部読みたいと思い、先ずは自分のためにリンクを張りました。ただし昨日からしばらく更新はお休みのようですので、留守中に好きに読ませていただきます。
 
 昨日の記事のオコナーから残雪へと話題が広がり、『廊下に植えた林檎の木』についてお話が出来るなんて夢にも思いませんでしたが、表題作の、「廊下に植えた林檎の木」はもちろんのこと、「汚水の上の石鹸の泡」という短編の書き出しの脅威の一行を思い出してしまいました。
 母が溶けて、たらい一杯分の石鹸水になってしまった。
 何ともありえない一行ではある。いわゆるマジック・リアリズムだ。
 と思ったら、上記ブログの方がマジックリアリズムについても「文学的手法としての<マジック・リアリズム>」という記事を書かれていて、次のように実に簡潔にまとめられている。
マジック・リアリズムとは、あり得ないことを、普通のリアリズムの文脈のなかで当たり前のように書くことだ。


 なるほど。母が溶けて、たらい一杯分の石鹸水になってしまったのはまぎれもなくマジック・リアリズムである、と納得した。
 「廊下に植えた林檎の木」の人物たちも通常のリアリズムではとうていありえない人物たちだが、この作品内ではありえているのである。
 これこそが言葉の力! 

2 件のコメント:

  1. 「母が溶けて、たらい一杯分の石鹸水になってしまった。」この1行を読んだだけで、残雪、やっぱり欲しい! と強烈に思いました。根気よく、捜します。
    それから、マルケスの専門家でしょうか、凄い!! 『百年の孤独』を読むのにも、片手にこのサイトのプリントしたものを持って読むと、分かりやすいですね。それにしても、この方のマルケスへの傾倒ぶりと詳しさには、ただひれ伏すしかない。尊敬します。
    また、アルツハイマーさん(やっぱり何となく呼びにくいですね)、オコナーの絶筆、「パーカーの背中」について丁寧に書かれていて、興味深く読みました。この方のオコナーへの愛情がよく伝わってきて思わず、同士よ、と呼びかけたくなりました。
    ブログを読むようになったのは、樋脇さんの「文芸同人誌案内」のリンクを開いたからで、ごく最近のことです。世間を見る目が変わりました。
    私なんて右も左も知らないひよっこだ……、と思いました。

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  2. ネットって、バカとハサミとおんなじというかそれ以上で、使いようによっては天使の道具、使いようによっては悪魔の道具にもなります。
     ネットで得られる情報は今や活字で得られるのと同等に貴重です。厭な世の中ですが、これだけは感謝です。
     残雪の本探し、協力いたします。根気良く探しましょう。
     

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