晴れて気圧が高いと頭痛になるのか?
空の海の底に暮らす重圧(軽いジョーク)。
夜、『秘儀と習俗』の先ずは、Ⅰの「鳥の王」を読んでスタート。
そういえば、かつて長男を動物園に連れて行った時、以後彼が孔雀を嫌いになった、その理由を思い出して苦笑い。たまたま我ら家族が孔雀の檻の前に行った時、孔雀があの鮮やかな模様の羽を広げてくれたのだったが、その際にバタバタと羽を数回前後させたので周囲に埃や砂などが舞い上がり、長男の目に入ったらしい。以来、彼は孔雀を嫌うようになった。あの美しい模様をじっくり見る余裕もなかったようだ。
Ⅱのエッセイの二番目に「作家と表現――グロテスクなものの諸相」があり、ひとつ飛ばして読みたい気がするが、今回はオーダー順に礼儀良く読もうと思っていますので、順に。
「作家と祖国」27ページ3行目
しかし、一つの国でもってあらゆる国々の用を足すというのが、小説家が負う特異な任務なのである。そう、さらに敷衍すれば「一人の人間でもってあらゆる人々の用を足すというのが、小説家が負う特異な任務なのでもある」
いわゆる通底器としての小説。通底器の底の管がゴミで詰まっていたりしたら、読者との共感も交感も生まれない。
さらに彼は、自分の力量で真実さを持たせうる生活の具体的な細部をとおして、この一つの国を浮かびあがらせなければならないのだが、これも作家に固有の努めだろう。小説というのは、現実世界に負けないだけのディテールをまとった人間学なのだと思うけど、その細部がなかなかの難問。
考えようによってはその細部こそ、虚構であるがゆえに作者の裁量で埋められる自由領域なのかも知れず、嬉々として細部の描写に励むべき?
こんなことを考えると余計に頭が痛くなりますので、今夜はこれで電源OFF。
それにしてもオンラインの合評会は難しいもの。
やれやれ。
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