2006年12月26日火曜日

死ぬまで偏愛朗読

 一日ごとに延ばしてきた年賀状の宛名書きを、ついに今夜決行した。もう限度である。
 ここ数年愛用のパイロット小筆という万年筆タイプの「硬筆」を使って、初めぎこちなく終わりごろになってすらすらと書く。
 だれだったかに年賀状作成ソフトを貰った時に一度だけプリンタに宛名書きをさせたことがあったが、一年でやめた。自分でもこんな宛名まで機械書きの年賀状など欲しくなかったから。自慢ではないが字はとても下手です。でも、字は読みやすければいいんです。いつもパソコンばかりだから宛名くらいは下手でも生な字で書いて、年に一度の「生きています証明」をしなくては。
 そういえば尼崎のT君は癌の手術をして四年目に突入か。懐かしいね、君と坂口安吾を肴に朝までかけて飲み干したブラックニッカ・ダブルサイズ。

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 検索してみても見つからないのでもう絶版のようだが、手元にある角川文庫の『ある流刑地の話』(F・カフカ、本野享一訳)は私には命の次に大切な本なのです。
 なぜかって、私がカフカを読んだ最初の本で、この本でカフカに惚れたからです。

 収録作品は
 「二つの会話」
 「観察」
 「判決」
 「村の医者」
 「ある流刑地の話」
 「断食芸人」
 「ある犬の探求」
 であるが、私が愛してやまないのは何と「観察」という本当に短い断片集なのです。
 18の断片がありますが、18全部が好きです。
 一字一句、すべてが悲しいくらい好きです。
 声を出して朗読するくらい好きです。
 朗読できるということは文章として完璧ということです。
 そのなかの「国道のこどもたち」の終りの部分。
南のほうにある都会を、わたしは目指していくのだが、その都会のことをわたしたちの村では、こんなふうに話している。
「あすこにはいいかい、ねむらない人間たちがいる!」
「なぜ、ねむらないのだ?」
「疲労しないからだ」
「なぜ、疲労しないのだ?」
「ばかだからだ」
「ばかは、なぜ、疲労しないのだ?」
「ばかが、疲労してたまるもんか!」
 不眠症の方にはちょっと読ませたくないエピソードだが、私はなぜかここがたまらなく好きなのです。
 カフカも新訳になって本野訳のこの文庫本はもう過去のものかもしれませんが、少なくとも「観察」に関しては私はこの本野訳だけを偏愛し、老いぼれた九官鳥みたいに繰り返し朗読してやまないのであります。多分、死ぬまで。

 因みにこの「観察」、観察という題名の横に……M・Bに……という献辞が記されています。Mでミレナを想起しましたが彼女はミレナ・ィエンセンカですから違います。M・B、何だ、マックス・ブロートじゃないですか。かつて「ミレナへの手紙」を買いましたが、苦くて渋くてついに最後まで読めませんでした。 

 ちょっとパセティック過ぎて恥かしいですが、パセティック過ぎるのは私、パセティック過ぎないのも私。 どちらも私ですので、論旨の矛盾につきましてはご容赦を。

2 件のコメント:

  1. 文学とは関係ないですが、私も年賀状の宛名だけは手書きします。どうしてもプリントアウトする気になれません。出来る限り手書きのひと言も添えて。
    少し前の話題ですが、残雪のこと。納富さんは4冊そろえられたとか。彼女の感性にぴったりと思います。そしたらさて、客観的に見ると、私にぴったりなのはどんな作家なのでしょう。自分のことは自分では判らないものですね。
    良いお年をお迎えください。

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  2. ひわきさん、書き込みありがとうございます。
    ひわきさんも相当に残雪がお好きだそうですね。
    私は完全に残雪オタクです。『廊下に植えた林檎の木』を手に入れるのにかなり手こずりましたが、800円の出物を発見して購入した時はうれしかったです。
    残雪は古書価格、どれも高いですからね。
    まだ『突囲表演』が無いのですが、これもあっても高くて手が出ませんので出物検索継続中です。
    いいえ、誰もぴったりという作家はいないでしょう。ひわきさんはひわきさん、納富さんは納富さん、私は私。
    残雪は好きですが残雪のような小説は書けませんから。

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