2006年12月2日土曜日

倦怠、狂おしさ、猥雑でひとつに固まってしまったこの愛すべきヘタレたち(長過ぎ!)




『タイドプール』柳川裕子・「胡壺 KOKO」第5号(福岡市)

 私は以前から文学は自己をうまく生きられない人間のためにあると考えているが、この小説に登場する4人はまさに自分をうまく生きられないタイプばかり揃ってしまった。
締まりのない膀胱のために小便が時と場合を選ばず出てしまう「おれ」はモイ子と暮らしているが、住宅地造成現場の飯場での洗濯が仕事だ。
 やがて「おれ」といっしょに同じ現場の洗濯の仕事をしている沙織も、銀行の総務課長であるジーノ、こと藤野さえも勤めを辞めてしまい、部屋に転がり込んでしまう。
 それ以前の「おれ」とモイ子の生活もそうだったが、人口が倍になり、4人で小便臭い六畳間で重なり合って眠るという状況が、さらに、倦怠感や狂おしさや猥雑を増す。
 このあたりの倦怠感や狂おしさ、猥雑さがなかなかうまく書けていると思った。
 それは開放的な空間である海へ行っても変わることはなく、
……そのうち四人は体をくっつけ合い、小さく横一列に並び、あの六畳の部屋で過ごすのと同じように窮屈に固まった。……

 この描写は、彼ら四人が、「倦怠、狂おしさ、猥雑」でひとつに固まってしまったことを直截に語っており、なかなか絵になっている光景です。この小説のピントが合った瞬間です。私としてはこの泣ける光景にいたく共感、思わず深くため息を漏らしました。

 ただしこの作品、ふたつ難点を言わせていただけば、
��、書き出しの何ページかは読点の使い方が明らかにヘンなところがあり、そのまま読んでいると呼吸困難になりそうな場所が結構ありました。一度、声を出して読んでみるとそれが良くわかると思います。

��、この小説の終わり方。途中で海老沢にからかわれ、また名刺も貰ってあったので、結末で海老沢を訪ねて行くのは作者にとっては既定の結末かもしれないが、私はこの結末には不満であります。
 せっかく、これだけの、四人の集団ドロップ・アウト状態を描いておきながら、「おれ」が海老沢の家を訪ね、海老沢主宰の怪しげな男ばかりのパーティ会場へ入ってしまうことで、片付けてしまうのはどうももったいなくて、感心いたしません。
 柳川さん、もっと別の終わり方、なかったでしょうか。  

2 件のコメント:

  1. euripides さま、はじめまして、お邪魔します。
    50枚前後で、おさめる必要がありました。粗筋を思いついたとき200枚は要ると思ったのですが、諸事情により(貧乏なんです 笑)削りました。エピソードも、文と文のあいだも削って、詰めて押して、なんとか枠内には入れたのですが、物語の順番が1番から10番まであるとすれば、1・2・3、、、飛んで10番と、そういう作りになっています。経験とテクニックがあれば短い枚数のなかでも処理できるとは思うのですが、どう頭をひねっても私にはこれが限界でした。おっしゃるとおり、この結末でいくとすれば何かが足りません。飛ばした所だと思います。ギリギリの所で繋いでいったのですが…、無理がありました。
    読点の使い方は、なぜか「タイドプール」は、なかなか句点にならなくて、もっと読点だらけでした。胡壷のみなさまに読んでいただいて(お世話になりました)、それで後で直したのですが、中途半端に直っていますね、汗。うーん。ここは分かりません。私自身、あまり句点が好きじゃないってこともありますが、「タイドプール」は特に嫌っていて、私は句点を打ちたいのに、読点でなければいけないと主張して、それで読点だらけになってしまいました。呼吸困難、すみません、滝汗。
    euripides さま、稚拙な小説を読んでいただきまして、ありがとうございます。こちらの記事を拝読し、なぜか私は、心が温かくなりました。感謝いたします。

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  2. 早速、ご本人に読んでいただきありがとうございます。
     目を閉じていて感でものを言うような雑駁な感想で恐縮です。
     削りに削られたとのこと、いちばん切実な問題で、納得です。
     それにしても便利な時代になりましたね。福岡で発行された雑誌を読んで、こんなところで感想をUPして、もっとずっと北にお住まいの作者にすぐに読んでいただけて、こうしてコメントが入る。
     小説を書くというのは相当にきつい作業で、しかも孤独な作業ですから、こういうネット上での交流は大切にしたいですね。
     柳川さん、次の作品も待っています。
     
     

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