まあネットで調べて「標識塔」がフォークナーにしてはとびっきり変な小説であることは判ったし、「文体練習」も丁寧に読みたいし、むしろ正月になってから借りてもいいのだけど。
年内に近くまで行く用事があるので、その時忘れないように。
『秘儀と習俗』、読み初めというのにもう立ち止まってしまった。
フラナリー・オコナーが幼い頃から好きで飼育までした孔雀について書いた「鳥の王」、その次の「作家と祖国」にも、続く「作家と表現」にもグロテスクという言葉が出て来た。
「作家と表現」ではご丁寧に……グロテスクなものの諸相……というサブタイトルまで付けられている。
フラナリー・オコナーのいうグロテスクが何を指しているのか? この本の紹介者である納富さんの助言もあって、作品より先にこの創作論集ともいえる『秘儀と習俗』を読み始めたので余計に解らないのだが、その文脈から少しは思い当たることがあるので、しばし足を止めて考えてしまうのです。
以前、そのものずばりの『グロテスクなもの』(ウォルフガング・カイザー著、法政大学出版局・叢書ウニベルシタス)という本を読んだことがあって、そちらに連想が行ってしまうのだが、なぜかアメリカ南部の作家がグロテスクを好んで書くような言い振りには得心はできる。
フォークナーの登場人物を見たって、ジョー・クリスマスだのポパイだの、「あの夕陽」のナンシーの亭主だの、すごい人物がごろごろ登場する。
私だって、「サンクチュアリ」など途中で放り出したくらいで、その時は、なぜフォークナーはこんなに人間の理解しがたい暗部ばかり書こうとするのだろうと思った。
暗いもの、醜いもの、歪んだもの、パンドラの箱にぎゅうぎゅうづめにされているものを故意に人間界へ放ったかのような精神のフリークスが遠慮会釈もなく跋扈する。
そのように美しくないものを、なぜ、南部の作家はあえて読者の目の前に提示したがるのか?
カトリックはともかく、ピューリタンはそう考えるだろう。
存在と現象とは美的現象としてのみ是認される。これはそのどこに書いてあったのかも忘れてしまったが、確か、ニーチェの『悲劇の誕生』のどこかにあったような記憶が……。
これがいったい命題(テーゼ)なのか、反命題(アンチ・テーゼ)なのかも判断できないまま、この一文を私はずっと抱えてきた。
この文章に従えば、グロテスクなものは是認されない。
しかし私は思う。
グロテスクなものも、美しいものも、どちらも人間の属性なのだから、作家は人間をあるがまま以上にグロテスクに、また同時にあるがまま以上に美しく書いてもいいのだ。
そのためにこそ、小説は虚構という枠組みを用意され、その中でのみ生き生きとイメージを再現できる想像力というものを与えられているのだ。
まったく歪んでいない真円な真珠などない。同様に人間も皆、誰もがどこか少し歪んだバロック真珠だ。
そういう認識無しに美しいものを見ても、ちっとも美しくはないだろうし、グロテスクな世界の中で、救われないこと自体が救いであることさえあるのだ。
Whahhahaa、相当に誇大妄想。恥かしいので明日は削除するかもしれません。
フラナリー・オコナー全短編・上下(筑摩書房)、山尾悠子作品集成は県立図書館にあるのをネットによる蔵書検索で確認。
市立図書館に依頼すれば県立図書館から、20日間5冊以内を借り出せる模様。
県立図書館は、代金は自己負担だが宅配便で直接送るサービスもしているようだ。
削除しないでください。大事なことです。
返信削除「グロテスクなものも、美しいものも、どちらも人間の属性なのだから、作家は人間をあるがまま以上にグロテスクに、また同時にあるがまま以上に美しく書いてもいいのだ。そのためにこそ、小説は虚構という枠組みを用意され、その中でのみ生き生きとイメージを再現できる想像力というものを与えられているのだ。まったく歪んでいない真円な真珠などない。同様に人間も皆、誰もがどこか少し歪んだバロック真珠だ。そういう認識無しに美しいものを見ても、ちっとも美しくはないだろうし、グロテスクな世界の中で、救われないこと自体が救いであることさえあるのだ」
小説を書く人々はみな、歪んだ真珠である弱い自分や他人を認識しているがために、歪んでいてもやっぱり真珠のひとつなんだからそれで充分けっこうじゃないか、と納得したいがために、小説を書くのではないでしょうか。
��私が持っている古いペンダントトップは、青い宝石の下に真珠が一個ぶら下がっているのですが、その真珠が歪んでいるがために美しく、心魅かれ、値段の高さに迷いぬいた挙句、どうしても諦められずに買いました)。
人間は、グロテスクを認めないと、生きていけない。そのためには、小説を書こうとする人は、グロテスクを書かないではいられないのです。グロテスクな面のまったくない小説など、中身のない美しい包装紙です。
納富さんが言われた通りにこの本を先に読んでよかったです。ゆっくりじっくり、スルメを噛むように読みます。
返信削除それにしても、旧版であるにしてもこの本を入手できたこと自体が幸運でした。
日本の古本屋やスーパー源氏では一冊もヒットしなくなりました。他の方法で検索したら一冊、杉並の古書店にありましたが、旧版なのに7,500円でした。
実は、クリスマス嫌い派なんですが……
今年はよいクリスマス、よい年末年始になりそうで、感謝いたします。
>存在と現象とは美的現象としてのみ是認される。
返信削除『悲劇の誕生』5 ですね。
私の持っている本では若干ニュアンスが違います。
「美的現象としてのみ存在と世界とは永遠に是認されているからだ」
前後に文章があります。
重要なのは、以下の文章であると考えます。
「芸術という劇全体は、われわれ個人のために、たとえばわれわれ個人の向上や教養のために演じられるものでは決してないし、さらにわれわれ個人は、あの芸術世界のほんとうの創造者でさえないということ・・・」
なにか、あせっておられますね。勘違いでしたら失礼ですが。
グロテスクなものの反対語は、美しいものでしょうか。
私はそれには賛成できません。
すみません。生意気ばかり申し上げました。
いえいえ、ほんとうにあせっての牽強付会でして、ニーチェを自分の都合のいいように曲解しているのです。
返信削除自分でも承知しているので確信犯ではありますが、ご指摘、冷や汗ながらも自分の曲解ぶりを再認識出来て有り難く、心から感謝いたします。
追伸
結局は、文学・音楽・美術・その他、芸術すべては「美的現象」に収斂されざるを得ませんよね。
単純化すれば、 美人は美人、醜女は醜女。
そのパラドックスがつらいんですよ、alzheimerさん。
哀しみはきはまりの果て安息に入ると封筒のなかほの明るし(浜田到)