2006年12月25日月曜日

極度の貧乏性と天邪鬼

 RSSリーダーのキーワードに「フラナリー・オコナー」を登録しているが、そこで収集された記事を順に閲覧していると、作家、桐野夏生がフラナリー・オコナー短編集にかなり影響を受けているというような記事に遭遇した。桐野夏生といえば、なぜか『I’m sorry,mama.』という単行本を一冊だけ読んだことがある。(それ以前は、桐野夏生は銀色夏生と同様に男性作家だとばかり思っていたくらいだから、まったくの無知である。)
  『I’m sorry,mama.』の読後感は、先ず重くて暗い情念を感じた。このような人間の、本人も何なのかつかめないような精神の暗部を描こうとしているのに感嘆した。どちらかと言えばエンターテインメントの作家である桐野がなぜ?と。その後話題になった『グロテスク』を買おうとしてそのまま忘却した。文章がやや practicalなのが原因であったのかもしれない。
 それが、桐野がオコナー短編集を少なくとも読んでいることを知って、彼女が東電OL殺人事件を題材に書いた自作に『グロテスク』という題名をつけたことに、ああそうだったのかと一瞬にして納得した。
 彼女の本だったらBオフとか古○市場にありそうなので、明日にでも寄ってみよう。

 今夜はクリスマス・イヴのようだが、こどもたちが家から離れた今はほぼ知らん顔できるようになった。こどもたちが幼い頃はプレゼントなど用意し苦心して枕元に置いたものだが、いつしか二男が「サンタクロースが来た時はいつでもお父さんがいない」と妙な因縁をつけるので、以後は堂々と手渡しするようにした。今はああいうインチキをしないで済むので気持ちがとても楽。
 実はジングルベルやクリスマス・ソングが街で流されているのを聞くのが嫌いなのです。あれを聞いているとなぜか、まともにクリスマスもできないこどもたちがいるであろうことを想起してしまい、彼らのことを考えると居ても立ってもいられない気持ちになる。だからクリスマス・ソングには耳を塞ぐ。ただし、なぜかジョン・レノンのクリスマス・ソングだけはそういういたたまれなさを感じさせないので耳は塞がない。どうもヒューマニズムとかそういうことではなく、ただの貧乏性あるいは天邪鬼なのだと思います。
 昔、軽井沢に住む知人を訪ねて別荘地を散策している時に、「ぼくはこういう場所には住みたくない」と言って知人の顰蹙を買ったことがあります。気分を害され、何とも厭な性格をしているやつと思われたでしょう。別荘など見ていると、すぐに別荘どころかまともな家にも住めない難民のこととか考えてしまうんです。持てるひとを見ると反射的に持てないひとのことを考えてしまう。実に短絡的でもあります。
 でもこういうことは黙っていた方がいいですね。ひとの気分を悪くしますから。来年は書きません(誓)。

 今夜はクラシックも何ですから、ももさんに頂戴したボリス・ヴィアンの音楽CD、『ぼくはスノッブ』をパソコンに入れて、聴きながらこの記事を書きました。クリスマス・ソングよりヴィアンのむくつけきシャンソンの方が、楽しいです。

 そういえば、もうひとつヴィアンがらみ。
 昨夜、民放のどこかの局の映像で、途中でぱっと見たので外国だがどこかも判らない土地に「赤い草」が生えているのが映されていた。
 うあ~、赤い草って本当にあるんだ。
 でもヴィアンの『赤い草』は別にこの草のことではないだろう。

 ボリス・ヴィアンの戯曲『屠殺屋入門』(生田耕作訳・サバト館、2,100円)ついに検索にヒット。
 久々の登場です。
 しかし、2,100円が18,000円ではな~(大号泣)。
 それにしてもこの戯曲、今ではこの題名のままでは出版できないでしょう。永久に再刊はありません。 ならば18,000円も高くないか。
 前に見たのは8,000円だった。
 待てば待つほど高くなる?
 「ジャン・メリエ遺言書」(31,500円)といい、貧乏人は本も読めない時代になりつつあります。

4 件のコメント:

  1. そうなのです。桐野夏生の「グロテスク」というタイトルは、まさにそうですね。厚い本を上下買って読みましたが、筋運びとしては面白い。オコナーの言う「グロテスク」に、どこまで迫っているのだろうか、とは思いましたが、単純に一気に読めました。他にも、小池昌代が、オコナーに影響を受けたと言っていますね。小池昌代の詩はすごく良いです。「もっとも官能的な部屋」の馬の詩など、大好きです。彼女の作品は、小説よりも詩のほうが濃くて味わい深く体の奥まで響いてきて、大好きです。
    「赤い草」といえば、有明海の浜辺に群生する「しちめんそう」を思い出します。毎年テレビに映っています。それとは違うんでしょうね。
    euripides さん、サンタになった父親を、大きくなった息子や娘達は、クリスマスがくるたびに、どこかできっと思い出しているのではないでしょうか。

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  2. 難しいですね。グロテスクを書いても、読者に「私とは違う特殊な存在、いわゆるフリークス」と思われたらアウトです。どんなにグロテスクであっても「これは私」、「私と同じ」と人間としてのシンパシーを失わせないようにしないと。
     特殊ではなく普遍というものでしょうか。
     小池さんはもともと詩人としてスタートしていますね。昨年だか今年だったか、さるH氏賞受賞詩人が小池さんを名指しで非難する文章が掲載されましたが、あれは気分悪かったですね。編集長は何を血迷ってあんな文章を掲載したんでしょうか、理解できませんでした。
     早速Googleのイメージ検索で「しちめんそう」を見てみました。知りませんでした。確かに赤いですね。秋に紅葉してああいう赤い草になるんですね。しかもアカザの仲間のようで。
     昨日のテレビの赤い草は砂漠のような場所でした。

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  3. 桐野夏生は、私の師匠が再三口にしていた名まえだったので、ずいぶん以前に短篇集を一冊読みました。たしかに暗部を探る様には眼を瞠りましたが、いかんせんやはりエンターテインメントに納めてしまう点に物足りなさを感じてしまった。そのうえ、「リアルワールド」の装丁にヘンリー・ダーガーを使われて、またぞろ私の悪い癖が出てしまったのでした。でも、たしかに彼女の目線はヘンリー・ダーガーさえ見つめうる、無視してはいけない人ではあるのですよねぇ。

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  4. 無視してはいけないひとではありますが、もうちょっと文章に洒落た服を着せて欲しいですよね。
     エンタテインメイントの作家の長所であり欠点は、文体について余りに素っ気なく吝嗇であることです。
     十津川警部の作者なんか文体的には小学生並みですが、あれが売れまくった不思議。
     エンタテインメントは初めにストーリーありきですから売れます。
     でも、売れない純文学は文章が命というのは否定出来ませんよ、ね。

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