2009年1月13日火曜日

吼えすぎて声が出なくなった狼の唄

 夕食後、3時間ほどノート・パソコンの電源入らず。いよいよ最期の時期が迫っているのかもしれないので、ようやく電源が入ったところで「ID、各種設定記録帳」というB6版のメモ帳に、メール・ソフトThunderbirdに設定してある3つのメール・アカウントのサーバー名やユーザー名、SMTPなどを記録。パソコンがクラッシュしてパソコンが新しくなるのは仕方のないことだが、各種設定をメモしておかないと苦労する。だから、どんなサイトのIDやパスワードでも、みんな手書きでメモしておく。

 久しぶりにオーヴァー・ザ・ラインのウェブサイトをのぞいたらオーヴァー・ザ・ライン・レコード・プレイヤーというネット上のプレーヤーに置かれている10曲がすべて入れ替えになっていたので、10曲全部聴いた。
 それから調子づいてTom Waitsの歌をまたしてもラストエフエムYouTubeで聴きまくり。吼えすぎて声が出なくなった狼が地の底でうなっているような悪声で、初めて聴いた時にはこれでもミュージシャンかと吹き出してしまったのだが、それが今ではなぜか、かっこよく聞こえてくるのが不思議。



 この曲は「Hold On」

 結局、この狼のドラ声に魅せられて、20曲も、今夜は音だけ抜く作業に没頭。
 それにしても、You Tubeにこうしてアップロードされている音や映像は、確かに著作権を無視してアナーキーでさえあるが、このように音楽に写真や動画を組み合わせたネット上のファイルが、実は新たな表現行為として自己主張し始めているのではないか。
 たとえば、粘土アニメという映像を付与されたこの曲
 ね、インターネットという貧者のメディアに乗って、実は新たなデジタル表現が生まれようとしているのではありませんか。(なんて考えるのはちょとオーバー......凹)

 Tom Waitsに夢中になった勢いで、書きかけのものに「眠れない夜はトムを待たない」などというふざけた仮題を付与した。
 その上、主人公の部屋やiPodにTom Waitsのドラ声を流し放しにしようという怪しいアイディアが浮かんだ。なんとまあ趣味的なこと。これでは到底最後まで書き遂せるはずもなかろうと。開き直ざるを得ず。


5 件のコメント:

  1. Tom Waits の歌、いいですね。
    小説のなかに好きな歌をいれる、というのは、私の場合は趣味のようなもので、よくやります。しかし、たいていはささやかな自己満足で終わってしまう。
    しかし、たまに小説のバックに流した曲に興味を示す人がおり、「わかった?わかった?」とその人の手を握りたくなる。つまり、曲を知っている人なのです。そして知ってる人は、なぜこの小説にこの曲なのか、何となくですが、納得してくれます。知らない人には、通じないわけですね。
    もっと真剣に向き合えば、曲を文章で説明し、その声や響きや味わいを曲を知らない読者にも伝えることが出来るのでは、と思います。そういう小説を読んだことがあります。楽器の音が精神に与える影響を描いた小説でした。

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  2. まだ形にならないうちにこういうことを書いてはいけないのですが、どうもお行儀良くしていられない性質のようです。
    Tom Waitsも若い頃はあんなに吼えるような唄い方はしていませんね。
    小説も人間の言動ばかり書いている訳にもいきませんから、少しくらい自分の好きなものを背景に埋め込んでもいいんじゃないかと。
    Nさんの小説は人間だけでなく物や風や音や水や、実に背景に描かれる物や現象が豊かで、なんとかこっそり真似したいものと隙を狙っております(うふっ)。

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  3. 私こそ、信州の、美しく大きな雪の浅間山やアルプスの風景のなかに、ごく普通に身を置いて生活しておられる方の、もはや刷り込まれているであろう美的感覚が、羨ましくてなりません。私には想像もつかない、すごく贅沢な生活。
    信州の風の音は私には書けません。雪を歩くときの感触も、痛いほどであろう空気も、経験した人の書かれるものには及びません。
    木曽の村の、婚礼の席で歌われた木曽節の小説を書きたいのですが、方言も、暮らし方も、春夏秋冬の有様も全く分からないので、お手上げです。
    ほんとうに羨ましいです。

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  4. 私はただ自然に恵まれた場所にいるだけで、それを書けないんです。
     木曽節はいいですよね。昔、映画だったか木曽節が流れる場面があって、それが我々の西洋音楽的な唄い方と違って、われわれでは息が続かないような長い唄い方なんですよね。

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  5. 昔、フジマウント・ジャズ・フェスティバルをテレビで見ていたら、なんとも不思議な声で唄う女性シンガーがありました。それはもう、声の出し方が、私たちがしっているものとはまったく違ったのです。
    すると、テロップでそのシンガーの紹介が出ました。
    彼女は、ラジオも届かないほとんど未開といってもよい土地で生まれ育ち、歌うこともしらず、ただ声を出すことが好きで、幼いころから大きな声を出していたのだそうです。なるほど、と思いました。私たちは、演歌にしても、やはり西洋が生み出したメロディーに乗せる声の出し方だけが声を出す唯一の方法だと、思い込んでしまっているだけで、じつは、声を出してメロディー(JAZZ)に乗せるその方法は、もっと多様だったのだと気づかされました。
    さて、その女性JAZZシンガーですが、感激して覚えようとしたのに、その名を覚え損ねた私の記憶力の乏しさが恨まれますが、いまだにわかりません。そのフェスティバルでも若いトランペッターの介添えをするようなすでに大御所の扱いだったのだから、きっとCDもあるはずなのです。一時期探して、女性JAZZシンガーのCDを買い漁りました。それでも見つからない。これはどうしたことでしょう??? 私は、恐らくすでにそのひとのCDを持っているのではないか、と思っています。それがわからないだけ。ライブとスタジオ録音の違いではないか、スタジオ録音によって損なわれるものがあるのではないか、と疑っています。
    話がズレちゃいました。
    彼女の、音楽をしらずにいたから獲得してしまった、誰にも真似のできない声のように、小説などしらないところで描写できれば、と、14日の記事に絡めておきます。

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