垂水 薫さん「中有の樹」(「照葉樹」5号・福岡市)
よくぞこんな題名をと感心し、また「中有」という言葉から穏兪され、あるいはイメージされるものの大きさと深さを想像し背中がぞくぞくしました。
さらに、書き出しの一頁で主人公がブナの樹にぶら下がっている首吊り死体であることを知り、ひょっとするとこの小説は傑作であるのかもしれない、と、大いなる期待を抱きつつ読み始めました。
しかし、先へ先へと読み進むにつれて違和感が大きくなっていきました。
なぜ?
読了してから一週間くらいの時間をおいて初めて、判りました。
三十八歳になって首吊り自殺をした私と、同じく自らの命を絶った八十歳のブナの樹の先住者との対話、あるいは結末近くで描かれている無数のブナの葉たちのかつての人生の不満や不都合などが、よく言えばあまりに典型的、悪く言えばあまりにステロタイプなのです。
典型的であることで多くの読者に理解されやすいのは事実ですが、そのことと引き換えに文学性は損なわれてしまう、そういう物書きには痛烈に皮肉な背理(パラドックス)に堕してしまっている。
また、もう一点。主人公がブナの木にぶら下がっている自殺体であるという、いわばリアリズム的設定に縛られてブナの木からあまり離れられない不自由さが、この小説を八十歳の先住者との対話に多くを頼るようにしてしまった。
ブナの木にぶら下がっているからといって、この作品の時空をそこに固定しなければならない理由はない。むしろ、死んだ主人公の意識は自由自在に時空を移動して構わないのである。小学校の鉄棒の場面だけではもったいない。もっとさまざまな時空に主人公が移動して、「描写」を繰り返してはまたブナの木に戻ってくる。そういう柔軟な話法が欲しかった。
私はこの作品を書こうとした作者のこころざしをある程度は感得した上で、さらに欲目で物を言っているのです。
できれば、垂水さんには安易に判りやすさに傾かないでほしい。
むしろ、この作者、垂水薫さんの文学的威力はひたすら描写のすごさにあるのであって、だからこそ、安易な解りやすさやステロタイプな人間表現は止めてほしいと声を大にして叫ばずにはいられないのです。
前作の鶏肉の描写、あるいはその前の水に流れる私の描写、その前の光の描写。
垂水さんの文学的武器はああいう描写にあるのです。
�� って、実は誉めるの九割、苦言一割なのですが)
でもこの苦言九割は垂水さんの才能に期待してこそなので、こんな因業オヤジの苦言などにめげず腐らず、笑って前へお進み下さい。
人間、誉められたらお終い、苦言を呈されてこそ認められているのですから、何クソと思って次作をお書き下さい。
「文芸誌O」、いただきました。有り難うございます。2編、読んだところです。
返信削除「さまざまな場所に私はいて」は、この世を踏み外しかけて行き詰まっている「さまざまな私」の「文体練習」的独白で、「私・0」に、「同じひとはいない」とありますが、「私・16」まで読むうちに、与えられた環境が違い、見る風景が異なるために、表現のありかたがさまざまに違う人間たち、というものに行き当たります。しかし、「根源」は、「みな同じ」なのですね~。
共通項を、まるっきり違う言葉で違う表現で描いてある面白い作品だと思いました。私たちは誰もが、人生の仮想と現実を生きている、宙に浮いた存在なのですね。
最後の「私・16」について。私事ですが、日の差さない北の古い部屋で、毎日、かならずエリック・バードンのあの黒い歌声「朝日の当たる家」を聴いて(あなたのせいです)、ネットショッピング中心の引きこもり老女である私は、どっと笑ってしまいました。
こういった作品のなかでは、「物」に、現実的触感や視覚が、より鮮やかに感じられますね。レタスの形態、色と陰影は印象的でした。
「ピエタ」。息子を助けられない母親の悲しみと苦痛をよく描いてあり、どんどん読んでいきました。ただ、連想ゲームあたりから次第に平凡になっていき、ラストで「え?」とがっかりしました。これでは、類型に落ち着きすぎるのでは? 病気の話と同じで、こういう母親はごまんといて、みな 祈るしかない無力な母親なのですが、それから? どうなるの? と思うのです。母親が、一生、息子を助けられないままだとしたら? ピエタには、もっと深い意味があるのでは?
どうも、あんなハチャメチャな作を読んでいただき、ありがとうございます。
返信削除ひとつのまとまった物語とか、まとまった世界とかの方がかえって胡散臭く眉唾に思えてしまうような捩じれた心性が、こういうハチャメチャな断片を平気で提示してしまう。困ったものです。
多分、Nさんやkairouさんの読み方は流れに逆らわない形で進んでいただいた、作者にはありがたい読み方だとありがたく思っています。
あちこちお送りした中には作者の頭を疑う方もたくさんおられるのではと心配していますが、そういう方は黙って何も言いませんので、まあいいや、です。
「ピエタ」についても、ありがとうございます。どちらも、42号合評資料に加えさせていただきます。
文芸誌「0」
返信削除今日、頂きました。
今日はベッドにはいるのが楽しみ。
まずは小嶋さんの作品、読ませていただきます。
楽しみです。
垂水さんの作品についての記事..。
私もかなり同感の部分がありました。
「照葉樹」の同人として私には脅威の存在なのですが...。
垂水 薫です。
返信削除「文芸誌 O」を受け取りました。ありがとうございました。読ませて頂くのが楽しみです。
また、“中有の樹”にご感想を戴きまして、ありがとうございました。とても感謝しております。
まったく、ご指摘の通りで、冷や汗が吹き出ました。そして、これほどの深くて鋭い感想を頂ける幸せを噛みしめました。
じつは、書きかけの“中有の樹”を何人かに読んでもらったところ、そろって訳が分からないと言われました。なんとか分かるようにしなければと書き直しました。結果、自分でも平坦で面白味のない退屈な小説になったと感じましたが、どう書き直せばいいか分からなくなって…。
かつては突き動かされるように書いていました。それなのに、このごろは何のために誰のために文を書くのだろうと、常に余計な疑問がつきまといます。書き続けることでしか答えの出ない問い、あるいは決して答えの出ない問いと思いますが、その迷いが今回の小説に出たと感じています。
つくづく小説を書く難しさを実感しております。
失敗するかも知れませんが、書く以上は次回こそ極力、自分に正直に向き合って、ひたすら無心で書くことに努めたいと思います。
本当に貴重なご感想ありがとうございました。
垂水さん、こんな場所までおいでいただきありがとうございます。
返信削除そうでしたか、書きかけをお友達に読んでもらったのでしたか。それをお聞きして腑に落ちました。
私など配偶者にも見せませんし、読みません。結婚前はそうじゃなかったんですが、結婚後は、読んで感想を言うと大喧嘩=離婚になりそうなので、お互いの書いたものはほとんど読まない、読んでも感想は死んでも口にしない、そういう決まりになりました。
結局、自分の感覚や思考を信じて自分の足で前へ進むほかないみたいなので。