2008年5月13日火曜日

同人誌という名の池

 ある方からのメールの返信に以下のように書いて、書いてから自分でもそうだったんだと納得した。 
 文學界同人雑誌評については、無くなるのはショックですが、しかし、もうある時期から文學界同人雑誌評に何も期待しなくなっていたというか、同人誌の編集発行人という立場上、定期購読を続けていただけで、昨年にはそれも止めていたので、むしろこの結果には案外納得出来るのかもしれません。
 逆説的で皮肉な見方になってしまうかもしれませんが、同人雑誌評のああいうあり方が同人誌の書き手をむしろ同人誌のなかに閉じ込めてしまって、逼塞させてきたような気もします。

 同人雑誌評に取り上げられただけで満足してしまう、そういった状況を肯定、安住してきたのではないか。
 いったい、同人雑誌評が真の批評の装置として機能しなくってしまったのはいつ頃からなのか。 同人雑誌評に失望や絶望を感じて読まなくなっていった読者はいなかったのか。
 同人誌の書き手は同人誌という名の池を泳ぎまわるだけでいい。
 そんな風にしてプロとアマチュアの棲む池が分け隔てられた。お互いに自分の世界のことには関心があるが、相手の世界には関心が無い。かくしてどちらの世界からも活気が失われていった。
��あまりに悲観的な、個人的考え)
 同人誌の書き手という枠の中にくくられるのではなく、個として、もっと書くことに意識的、戦闘的にならねば。
 
 
 今朝の早朝作業でoyamabokuchiの定植作業は6通り、ほぼ150株となり、これで終了とする。まだ苗は残っているが、時間に余裕があれば山に生育適地を探して植えて来たいと考えている。6月になれば山に行く余裕もあるだろう。
 まだ半分ほど余地があるが、チコリやルート・パセリなどを植え、まだ残っていたらそこにも蕎麦を播こう。なんだか怪しい畑だが、チコリやら蕎麦やら、花だけでもひとを楽しませるだろう。
 そういえば、生前、ご自身も花ゲリラだったらしい黒沢さんを思い出した。かつて所属した同人誌で仲間だったが、癌で亡くなられた。胃を取ってもなお飲兵衛で、楽しい酒をご一緒したことがある。
 ちょいと検索してみたら、今でも花ゲリラ活動は続いているらしく、ブログやmixiのコミュが存在する。なるほど、ありえない場所にきれいに花が咲いていたりするのは、彼らの仕業か?





 iPod、絶好調。好きなバッハやフォーレの曲やお気に入りの歌を入れまくり、どっぷり。そして今夜はなぜか、桂銀淑の曲ばっかりをダウンロード。(彼女、逮捕されてどうなったんでしょう)
 もうひとつ欲しいのは、高性能な双眼鏡。山歩きする時に向こうの沢に何が生えているか、確認するのに必要。デジカメのズームくらいでは見えないのだ。沢を下って上って徒労だった時の落胆。運動をしているのだと思えばそれもいいのだが、歳の所為か、息、ハアハア、ゼイゼイです。ちょいと価格.comとヤフオクで検索。  

8 件のコメント:

  1. おてあげ宣言2008年5月13日 9:09

    そうなのでしょう。そう、思います。なんだか、さびしいのですけれど。
    よこい様は、文学フリマでお疲れのご様子なので、しばらく遠慮をさせていただいております。
    よこい様への礼状を、こちらへ書かせていただくやもしれません。
    そうでした。わたくしの目の前で、作者と読者との、作品と感想との、愉しい友情のような、美しいむすびつきの光景が展開されていました。文学は言葉の遊びで、遊びは愉しいはずでした。
    これこそが、本来あるべき文藝同人誌の愉しさなのだと感動いたしております。
    40年前にパソコンがあったら良かったのに。インターネットがあったら良かったのに。文芸同人誌案内があったら良かったのに。デジタル文学館があったら良かったのに。
    文芸同人誌の批評の世界も、万年筆からキーボードへの、決定的な過渡期に踏み込んで行きました。その有様をよこい様のブログのなかでわたくしは見ることになりました。デジタル文学館、大大大感謝であります。
    ああ、美しい。
    ああ、愉しい。
    余生は、デジタル文学館の作品だけを読んで、過ごしたく思います。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

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  2. わあ、おてあげ宣言様。
     厳密に文学的なよこいさんのブログと違って、非文学的雑事にばかり現をぬかしている当ブログにお越しいただき、ありがたく、また恐縮です。
     おてあげ宣言様(表向きは現在の文学状況にお手上げという格好で、実は逆に引導を渡されているような、とても意味深なハンドル・ネームではありませんか!)、余生などと仰らずに、現役で創作と発言をお願いいたします。
     こんな心寂しい文学状況でも、皆で渡れば怖くありませんので。
     
     

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  3. きわめて、おなじ考えでおりました。
    euripides様の文章を読ませていただき、同じような考えでしたので
    「これで良かったんだ...」と私の考えを納得させました。
    さて、私はi podが壊れてしまいました。
    で、今はソニーのウオークマンです。
    ウオーキングのときは使用しませんが、バスに乗ったりとか、買い物にでかける道のりなど、今や手放せません〜

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  4. euripidesさん、こんにちは。
    そうなんですよね。例えば、同人誌の宣伝の常套句に「同人雑誌評で取り上げらている」というものがありました。これについても記事を書こうかと思っていたのですが、過激な同人誌批判になりそうだったので控えたのですけれど、特に文章教室などは、生徒獲得の格好の宣伝として、そこで発行する同人誌があり、まして、同人雑誌評に取り上げられた回数がアピール材料になるわけですよね。そうした中で、新人賞の傾向と対策のような、同人雑誌評の傾向と対策といったものまでできてくる。大河内氏が言う「文壇」の在りよう、作家や評論家と同人誌作家の交流と言うのも、主宰=カルチャーセンター等の先生という形になっていたと、じつは考えていました。もちろん、私たちの同人誌も師匠をいただいた教室同人誌と言えるわけで、それを否定するわけではないし、もとより商業主義に迎合しない同人誌といった図式には否定的でありたい私なので、口籠もりつつ言えば、同人誌を支える「文壇」という大河内氏の論理は、現在では、教室運営と言う商業的な論理が働いている面が多分にあると思っています。
    そうした同人誌ばかりが同人誌ではないし、教室同人誌だって、そうした傾向と対策に無縁なところで発行しているところがあることも確かで、例えば、弊誌はそのつもりだけれど、その一方で、私自身が編集を担当したりしていれば、どこかで、なにがしかの結果を出さなければメンツが立たないといったプレッシャーを感じたりもして、その時に、同人雑誌評に取り上げられて、ほっとしてしまったこともまた事実なのです。哀しいですね。かといって、「あんなものがなければ、プレッシャーなんかない」わけではなく、それなら新人賞の最終選考くらいに残らなければならないかな、ともいえます。プレッシャーなんてものが、文学とは無縁なんですが、そこがまた、教室同人誌の弱みかもしれません。
    うわっ! またしても、ちょっと自分のところには書きづらいことを縷々と書き殴ってしまいました。お許しを・・・。
    おてあげ宣言さん、お心遣い痛み入ります。
    また、なんとも心強いコメントをありがとうございます。最近、同人誌に限らず、読書の記事が滞っておりますが、おてあげ宣言さんにこうまで言われては、頑張ります。
    でも、euripidesさんの言われるとおりです。老いたとか、余生とか、書いておられますが、おてあげ宣言さんのお歳を存じ上げないながら、お歳はどうであれ、これからも現場にいましょう。コメント欄で結構です。どんどんご発言をくださいませ。
    ryoさん、こんにちは。
    私は思うのです。小説こそ最も有意な小説の批評行為だと。批評や評論なんて、新しい小説に比べたら、なんと弱いことでしょう。これまで創造的な批評を提言してきましたが、創造的な批評とはなにより小説なのだ、と思いはじめています。書くことこそ、みなさんの小説にたいする返信になるようにさえ思えます。
    同人誌評なんかいらない、小説を書くだけですよね。
    「文芸同人誌案内」の掲示板で、同人誌評をことさらに扱ってしまったことを少々悔いております。ことさらに扱うつもりではなく、単に情報として掲載しているつもりですが、だけどやはり発言とは、とりもなおさずことさらなのではないか、なんて・・・。
    言葉とか発言と言うのは、じつに繊細なものですね。

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  5. ryoさん、同じように考えたり感じたりしていたひとが、案外、多かったのではないかと思えます。
     垂水さんの作品から読み始めましたが、仕事繁忙期でまだ読了に至りません。Lydwine.さんの評がアップされましたので焦りますが、読み終えるまではLydwine.さんの評を読まないで封印しておくことにしました。(Lydwineさん、悪しからず)
     iPod、パソコンで曲の選択、追加が出来るので嬉しがっております。
     Lydwine,さん、お互いにホーム・グラウンドで書きにくいことを書き合いましょう。
     確かに、作品に寄せられた批評への望ましい対応は次の作品で応えることだと思います。
     つべこべ言うより作品そのもので応える。カッコいいです。
     常にそのように心がけていたいですね。

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  6. ��1年間に、同人誌に書き始めた頃は、世間知らずで、「プロもアマもなく、ただ、一心に、自分が人間について書きたいことを、ただ書いていくこと」に、大きな喜びがありました。評価を期待するというのではなく、共感してくれる人がいることがいちばん嬉しかった。
    だんだん年数がたつうちに、「同人誌」に対する世間の「プロでもない素人のくせに」という冷笑に近いものを感じることが、多々ありました。
    同人誌の私の作品へというよりも、「そこに書くしかない同人たち」という存在へ向けられる突き放した感想でした。
    私にむかってそれを言うのは、老若の遠慮のない仲の友人たちであり、特に社会性を大事にする男性の口から出たことが多かったのです。
    何を言っても仕方がない、とあきらめつつ、外部の人のそういう冷ややかな視線は、かなり私自身を変質させたと思います。
    同人誌にも責任があるでしょう。どうでもよいお茶のみ話のような「ああそうですか」というしかない作品や、類型的、感傷的な自己肯定の思い出話ばかり並んでいては、大事な時間を使って読む人たちは退屈し、時には腹を立てるでしょう。
    同人誌の個々の人々が、自分のレベルを高める努力はせずに、同好会という意識でお互いをほめあって慰め合って書くなら、文芸同人誌という呼び方はおこがましい。
    私ほどの年齢になると、死が間近いせいか、生死に繋がっている作品を読みたいな~、もっと人の心に食い込む、もっと自分の言葉で自由に発想され書かれた、さまざまな深い人間の姿を書いた作品を読みたいんだけどな~、と思うことがよくあります。
    ただ、その大事な話を、文学として書くのは、書く側に立つと、とても難しい。
    短い小説であっても、緊張感と鋭さに満ちた、人間性がまるで渦になって吸い込まれるような小説を書けたら…。
    テーマ性が高い、あるいは設定が特異な、いわば「大上段に振りかぶった」小説だと、それを支えるだけの精神性と筆力とある程度の長さがないと、読者には通じませんよね。書く者として、自分の筆力の貧しさや才能の乏しさには、失望するばかりです。
    ですが、そういう願いを持ち続けていれば、外部から、素人が何を書くか、という目で見られがちな同人誌であろうと、何も怖れずに心を尽くして、日々、書いていけるのではないでしょうか。
    そして、ふたたび、書き始めた頃とおなじ思いに戻っていっている私です。
    大事なのはまわりの評価ではなく、自分のなかの、もっと深くもっと広く書けたら、という願いなのではないでしょうか。
    そのうえで、自分の作品へのまわりの批評のなかには、肥やしになるものもきっと含まれているので、たとえ、全く納得できない評であっても、ぶつぶつ言いながらでも、いったんふところに入れて、あとで気持ちが落ち着いたときに、ゆっくり取り出して吟味してみると、あんがい「あ、そうだったのか、儲け!」と思うことがあるのでは。
    ほめられることばかり求めていると、苦しくなりますから。
    真摯にもたらされる批評は、有り難いものだと思います。
    自分にも言い聞かせながら、これを書きました。

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  7. >>Nさんのコメント...大事なのはまわりの評価ではなく、自分のなかの、もっと深くもっと広く書けたら、という願いなのではないでしょうか。>>
     私も、いつもそう思いながら、描くことに集中しようと思います。Lydwineさんのコメントの中で、評論や批評にまさるものは「新しい小説」を産み出すことだと...。
     私の作品に対する思いですが...評価よりも、例えば、祖末な作品でも良い...何かしら読まれた方の
     心に残る作品、
      100%のうち、2%は読者の心にゆだねるような作品が書けたら..。
      そんなことを考えます。
        まだまだ未熟者の言う言葉ではありませんが.....。

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  8. Nさんのコメント、身に滲みます。
    大事なのはまわりの評価ではなく、自分のなかの、もっと深くもっと広く書けたら、という願いなのではないでしょうか。
     ryoさんが引用されましたが、ほんとうにそうなんですね。他者の批評も外側から光をあてて照らし出してくれますから大事ですが、それ以前に先ずは、作品を書きながら自分の中で展開される自己批評というものををきちんと克服できる物を書く、それがいちばん大事だと思っています。自己批評に耐えて出来上がって来た作品は他者の批評にもよく耐えるでしょうし、そういう小説を書くことが目標なのだと思います。
     私は小説を読む際にプロ・アマの違いをまったく意識しません。プロの手になってもつまらない作品はたくさんありますし、アマチュアの作品で感銘した作品もたくさんあります。
     

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