2001年6月15日金曜日

倒れ死すべき

永井荷風の『濹東綺譚』の結末は、…草稿の裏にはなお数行の余白がある。筆の行くまま、詩だか散文だか訳のわからぬものを書してこの夜の愁いを慰めよう…という言葉の後に以下のような詩で飾られ閉じられている。

残る蚊に額さされしわが血潮。
ふところ紙に
君は拭いて捨てし庭の隅。
葉鶏頭の一茎立ちぬ。
夜ごとの霜の寒ければ、
夕暮れの風をも待たで、
倒れ死すべき定めも知らず、
錦なす葉の萎れながらに
色増す姿ぞいたましき。
病める蝶ありて
傷つきし翼によろめき、
返り咲く花とうたがふ鶏頭の
倒れ死すべきその葉かげ。
宿かる夢も
結ぶにひまなき晩秋の
たそがれ迫る庭の隅。
君と別れしわが身ひとり、
倒れ死すべき鶏頭の一茎と
並びて立てる心はいかに。

この短い詩のなかに、「倒れ死しすべき」という言葉が三回使われている。このリフレインはすごい。
しかも、最終の二行には感歎する。

倒れ死すべき鶏頭の一茎と
並びて立てる心はいかに。

朔太郎の「枯れ菊」と、荷風の「鶏頭」にはぐうの音もない。これはしかし、ある程度の年配にならないと実感できないか。

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