そんな人間がここではずいぶん長く続いている。
遅まきながら、永井荷風の「断腸亭日乗」を読んでから日記が単なる行動記録でないことを了解した、その賜物か?
人間を外側から書く小説は、一個の人間の言動を書くことで人間の真の姿を描き出そうとする。人間を内側から書く小説は、一個の人間の思考や感覚の働きを描くことで真の人間の姿を描き出そうとする。
前者は小説のオーソドックスであり、後者は「意識の流れ」に代表されるタイプの小説。
どちらから攻めるにしても、本当の人間の姿、本当の世界を提示できればいいのだと思う。
個を描いて個を描くに終始しては誰にも理解、共感されない。
徹底して個を描くことで、すべてのひとに通じる存在としての共通項を獲得しなければ、文学が持つ普遍的価値はありえない。
「文学」なり「小説」、それを構成する「言葉」は、誰ひとり同じではないという固有の姿を描きつつ、それを、同時に、同じ人間として共有する存在のエレメントとして提示しなければ、文學とか小説は存在の通底器(ブルトンの言う)、水準器にはなりえないだろう。
暑いので汗を流し、缶ビールを飲んでパソコンの電源を入れたのが間違いの元で、かなり青臭いことを書いてしまった。やはり、今日ぼくは仕事した、暑かったとでも書いた方が無難だったような気がする。
明日の晩には削除したくなるだろうことが、ほぼ確実。
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