2001年5月30日水曜日

この沈黙は不在の向こうに生きのびる

昨夜は頭痛と倦怠感と眠気に襲われて20:00には床に入ってしまった。「馬葡萄の焼酎+ブランデー漬け」を飲み、赤ん坊と同じくらいの睡眠時間をとったら、なんとか元気回復。

久しぶりにE・M・シオランの『生誕の災厄』をぱらぱらめくっていて、ふと、次のような言葉が目にとまった。
……あらゆる罪を犯した。父親となる罪だけを除いて。うーん。おれは、シオランが犯さなかった罪まで犯してたんだ、と。
でもまぁ、「毒をくらわば皿までも」という言葉もあり、結婚しないつもりが結婚し、子供を作らないつもりが作ってしまい、「なしくずしの死」ならぬ「なしくずしの生」である。

人間の生を否定し去ろうとする現象や思念。
戦うよりうなづいてしまう方がずっと楽だし、理にも適っているような気がするのだけど。

あるホーム・ページの掲示板で、ホーム・ページの名の由来を質問されて、ウェブ・マスターがF・サガンの同名の小説をあげ、更にその題名の元であるPaul Eluardの詩の原詩と訳を掲げられているのを見て、Paul Eluardをなつかしく思い出した。安東次男訳の「愛すなわち詩」しか読んでいないのだが、今でも忘れないでいるフレーズがいくつもある。

……ぼくらの眼はたがいに光と   光を投げ返す、それは
もう相手を見わけられなくなった沈黙だ
この沈黙は不在の向こうに生きのびる

……ぼくの手からおまえの眼へ
沈黙が旅をする

……ひとつの貌が 世界中の名に応えること
それがほんとうに必要だった

今夜はポエジーにどっぷり浸かって眠れそうだ。

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