2008年7月8日火曜日

ストーリーに寄りかからない小説

 今回、ストーリーに寄りかからない小説が書きたくて、人間という存在を、「私」という一人称の絶対的個の、その内側に身を置いて描写だけに徹するという方法で、ああいう部分を積み重ねてゆく。実はまだつづけて100人分くらい書いてゆくつもりでした。

 われわれは、部分を見ることは出来ても全体を見ることは出来ない。それなら、はっきり見えた部分だけを提示し、部分で全体を暗示する、それでいいのではないか。

 しかし部分の集積だと軽くなってしまうし、ストーリーから遠ざかろうとすればするほど動的ではなくなって、小説には見えなくなってきますね。
 それが、何か、ひどく損なような気がしてきました。
 やはり、ストーリーに乗って分りやすい小説を書いた方がいいのでしょうか。

2 件のコメント:

  1. こんばんは、おじゃまします。
    ��実はまだつづけて100人分くらい書いてゆくつもりでした。
    そうだったのですか。読みごたえがありそうです。今回の小説ですらプラネタリウムの私ですから、100人に増えたらどうなっていたことか、想像すると楽しいです。というか、100人ぶんの「私」を書いてゆくのって大変だろうなあ、って素朴に思いました。うーん、凄いです。
    ��ストーリーに乗って分りやすい小説を書いた方がいいのでしょうか。
    これはどうなんでしょう…。
    学級会のように挙手して発言してしまえば、
    「みんな、じぶんの好きなこと、得意なことをやればいいと思います!」
    答えになっていませんが、汗。
    でもでも、私も日常的に、さまざまな小説を読み、それぞれに書き手がいて、なんかそれでいンじゃないかと。「ストーリーに乗って分りやすい小説こそが小説だ」と言うなら反発しますが。末端の読者としては、さまざまな小説が、自由に書かれていれば、今日はコレ、明日はコレと、楽しめるかなあ、と思うんですけど、あまりに優柔不断ですか? 笑。
    あと、小説には見えなくなってもいいと思うんですけど。
    ともかく、じぶんの歌を歌っている歌こそ、だれにも負けない歌だと、私は考えているのですが。それを素敵な歌だね、と言ってくれる人がどれくらい居るのかは、単純に、数の問題なので、「書きました。あとのことは知らん」、でいいのじゃないかと。

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  2. このところ凹みがちで乱調なことばかり書いていましたが、優しいコメント、ありがとうございます。
     100人分書くのは練習で、実はあの書き方でひとりを書いて、なおかつストーリーに寄りかからない、そんな小説、書けるんでしょうか。
     多分、私が狙っているのは外側から言動を書く小説ではなく、内側から描く意識あるいは精神のロマン。意識の流れではなく、意識のロマンのようなもの。
     ああ、むずかしい。

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