2008年7月7日月曜日

私が「デジタル文学館」を始めた訳

 訳があって「小説」、「投稿サイト」で検索してみたら、あきれるほどありますね。
 個人運営から相当なデジタルコンテンツ運営会社などの法人運営まで、ケータイ小説投稿サイトまで含めれば、ありすぎて閉口仕ります。
 
 そういえば、過去にも私のところに小説だけでなく絵や詩など芸術全般の投稿サイトを始められた女性から案内があり、リンクをお願いしたいというので了承したことがあったが、なぜか、この運営者、運営する投稿サイトの更新がぱたっと途絶えてしまうのである。それでリンクを外してしまったのだったが、忘れた頃になってまたリンク云々というメールを寄越したので、お断りした。どのような事情があってサイトを放置されていたかは判らないが、無責任である。いちいちメールを寄越さないまでも、少なくともサイトのINDEXに、申し訳ありませんがこういう事情により更新が滞っていますくらいの告知はすべきであろう。
 インターネットというのは実は幾らでも私的に利用できるけれども、全世界の人類が使える公器でもあるのです。その公器を使って情報発信しているかぎり、そういう最低限度な責務は果たしてもらわないと困るのであります。
 さらに、話は遠く迂回してしまいますが、先日、ある人物から「入会希望」という件名のメールが届きました。数年前に入会希望のメールを寄越したので、例会(合評会)の日時を案内するメールを送信し、なおかつその号を郵送した。にもかかわらず、彼は例会(合評会)に顔を見せなかった。忘れた頃になって、またメールが来た。例会(合評会)の日時を知らせた。しかし、それでも彼は来なかった。
 二度あることは三度あって、また「入会希望」のメールが来たが、その際の失礼については一言も無い。私はこういうひとには、意地でも返信しない。
 こんな人物を仲間にしたいと思います? こんな人物の書いた小説、読みたいと思います? 思いませんよね。

 と、ぶつくさぼやいておいてから、さて、冒頭の「小説投稿サイト」の話題に戻ります。
 インターネット上には個人運営から法人運営まで様々、たくさんの「小説投稿サイト」が存在します。
 今年になってからも、何とかいう法人運営の「小説投稿サイト」からもメッセージ・ボックスにメッセージが入っていて、そのサイトを見に行ってみましたがどうということはありませんでしたので、メッセージ自体も削除してしまいました。ケータイ小説を出版したら売れたという現象に乗って柳の下の泥鰌を狙って開設された「小説投稿サイト」としか思えないのでした。
 インターネット上では、独自のサーバー(あるいはレンタル・サーバーであっても)さえ持っていれば、あとの経費はそうかけなくても「小説投稿サイト」など運営できます。百万、一千万、一億円などという資本を投下しなくても、運営できるのです。現に私は「デジタル文学館」を無料レンタル・サーバーを借りてゼロ円で運営しています。ひわきさんの「文芸同人誌案内」も然り。
 生物兵器や毒ガス兵器が「貧乏人の核兵器」といわれ、インターネット上のウェブサイトが「貧乏人のメディア」といわれることがありますが、まさにいい得て妙な呼称であります。
 インターネットは、今や、ネットに接続するだけの基本的(インフラ)整備には若干の月額基本料金がかかりますが、インターネット上でウェブサイトを展開するのに費用はいっさい必要ないのです。ちょっとだけのスポンサーへのリンクさえ気にしなければ、個人でも法人に負けないウェブ運営が可能な時代なのです。

 で、私は「デジタル文学館」を経費ゼロ円で開設し、全国の印刷された文芸同人誌に掲載された秀作をインターネット上で読めるべくアップロードを開始した。
 それは、「文芸同人誌案内」で知り合った皆さんの協力=推薦があってこそ広がる性質の、実は言葉にしてしまえばあまりにも日本的で恥ずかしい「純文学」という呼称の、アナログ=紙媒体一途からの脱却、すなわち、いかにも怪しいインターネットというデジタル媒体との二足のわらじを履くという、一種ルビコン河に賽を投げる行為に等しかった。
 
 ここで立ち止まって振り返ってみれば、かくしてアップ・ロードされた「デジタル文学館」の作品群と、あきれるほど多い個人運営&法人運営の「小説投稿サイト」にアップロードされた作品群の間に差異や径庭は無いのだろうか?
 それは、歴然とあるのです。
 ただネット上にアップされただけの小説は、実は、いつでも書き換え可能で削除さえも可能な、いわばパチンと弾けて消えてしまうシャボン玉と同じくらい仮想(ヴァーチャル)なのです。
 それに引き換え、旧式でアナログで非効率な、「貴重な森林資源を伐採し、それを粉砕したチップから漉かれた紙に数百部印刷製本されたにすぎない文芸同人誌」に掲載された小説は、書き換えも不可能で、削除も不可能な潔いメディア(表現媒体)なのであります。
 インターネット・ネットは、匿名性やハンドル・ネームに身を隠した一種の「天狗の隠れ蓑」の世界であり、マジック・ミラーに囲まれた取調べ室に過ぎないような側面を持っているのですが、印刷された文芸同人誌に掲載された小説はそれとは異なり、印刷発行された時点で書き換えや訂正、削除も不可能な、厳然とした言語表現=エクリチュールとなるのです。
 それがいかに稚拙であれ、いかにつまらない小説であれ、自己満足に過ぎないのであれ、現に生き、考え、感じ、ベストセラー無縁、名誉も地位も無縁な位置で、それをみずからの言葉で表現しようとする偉大な文学のアマチュアの表現行為をこそ、私は世界中の誰もがアクセスできるインターネット上に展開したかったのです。
            


��ああ、今夜もインターネットの海の波間や底に浮いたり沈んだりしながら、さよなら三角また来て四角、ブクブク......泡々)。

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