2010年2月24日水曜日

一種の荒行

 残雪研究第二号を読むのを一時中断して、最近送っていただいた同人誌をようやく通読した。これから感想を書こうと思うが、どうもこれが書きにくいことこの上ない。
 小説の中で人が生きるのも死ぬのも虚構ではあるが、現にその小説を読んでいる読者にとっては虚構内現実という現実であり、そこに描かれた事故としての死が、旧約的、古代ギリシア的な、運悪く落雷に撃たれたみたいな死や、たまたま犬っころが車に轢かれたみたいな死であると、非常にやりきれない。
 たまたま犬っころが車に轢かれたみたいな死が現代にないわけではないし、死者に死の意味がなく、生者に生の意味が見えない状況を提示した作者の焦点距離の深さには感心する。
 そういう意味のない死の上に残されて生きている者たちの小説が展開されているのだが、このあたりはネガティブすぎて読むのがきつかった。結末に至って生が意味あるものに見えて来て、生者は生の方に向かって歩みだすのが判るのだけど、それにしても、この小説のそもそもの出発点にある死、これは読者には否定しようもない。こういう視点で小説を書く物書きは少ないし、この作品自体が一種の荒行であることは事実なので誉めたいのだけど、さて、どうやって?
 単なる読者として書くのなら簡単だが、一応小説を書こうとする者は読者でありつつ書き手でもあるので簡単には書けない。書くことがみな自分に跳ね返ってくるので厄介なのです。
 少し時間を置かないと書けないような、時間を置くとますます書けなくなるような。
��結局、書いて「小説・書くひと=読むひと・ネット」の方にアップしました)

 今日はパソコンのバッテリーを抜いたまま。少し時間がかかっても起動しないことはなく、拍子抜けしたが、一日考えた末にネットでバッテリーを注文した。


 お口直しです↓ 。 このブログのタイトルバックに使わせていただいているトニ・フリッセルの写真がジャケットに使われている、ビル・エヴァンスのアルバム、「Undercurrent 」に収録されている曲です。 Dream Gypsyと Skating in Central Park
 

 

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