2010年2月17日水曜日

製粉の妙

 午前中、出かけていたのだが、Tさんが最後の玄ソバを挽いてほしいとひと袋置いて行ったというので、やむなく午後、製粉作業。先日、自分のは種用に5kgほど残してすべて粉にし、冷凍庫に入れてしまったので、コンプレッサーで製粉機を掃除して倉庫にしまおうと思っていた矢先だった。
 予定を変更して製粉作業開始。玄ソバ18,5kgを粉にして袋詰めするまで何と3時間。出来たソバ粉は13,2kgで歩留まり72,97%。やはりよほどの物好きでなければ自家製粉などするものではない。というか、自分のものはよいが、人のものまで引き受けない方がいい。ま、Tさんは蕎麦を共同栽培している相棒なので別ですが。
 ソバ粉の品質などお構い無しにただ挽いて篩うだけだったら2時間くらいで済むかもしれないが、風味のあるソバ粉となったらやはり時間と手間をかけることになる。今年でソバ栽培も蕎麦打ちも3年生、自家製粉は2年生になったが、ようやくそういう機微が解るようになって来たような気がする。
 蕎麦にはコシ、歯ごたえ、喉越し、風味、甘みなど微細な感覚表現があるが、やはりいちばん大切にしたいのは風味。コシのある蕎麦を打つのは難しくない。喉越しの良い蕎麦も打つのも難しくない。が、喉越しの良すぎる蕎麦はつるっと喉を降りていってしまって、かえって風味を味わうのを邪魔してしまうから感心したものではない。喉越しだけを言うのだったらうどんの方がいいに決まっている。蕎麦は蕎麦の風味があってこそなのだが、その風味がどこかに消えてしまっている蕎麦があまりに多すぎる。
 蕎麦の風味や甘みは蕎麦打ちの技術というより、むしろ製粉の仕方に相当依存するということも判った。田舎ではそば殻なども引き込まれた黒っぽい田舎蕎麦を好む人がいるが、わたしはそうでもない。どちらかといえば麺体は白っぽくて細めで、柳腰な感じの方が美しいし、おいしそうに見える。
 だから出来るだけ色白なソバ粉にしようと思うのだが、皮を剥いた抜き(剥き身)にする機械がないので皮ごと粗挽きする方法しかない。それを先ず篩いで皮だけ篩い出すのだが、砕けた皮の一部が篩いの目から落ちてしまうので少しは混じってしまう。これを「星」といって歓迎する向きもあるし、多少の混入には目をつぶらざるを得ない。
 粗挽きした時の一番粉、それからもう一度挽いて篩った二番粉まではほぼ真っ白。三番粉はややくすんだ色合いだが、ここまででやめて後の篩い下はみな捨ててしまえば、ソバ粉の歩留まりは悪くおそらく65%くらいかと思われるが、打った蕎麦は色が白い。ただし色白で美人であるが風味はやや薄い。蕎麦として上品ではあるけれど。
 そこでわたしはその三番粉の篩い下をさらに製粉機にかける。実はいつまでも粉にならず粗いまま頑張っているのはソバの実の緑色をした甘皮そのものや、その内側の部分なのである。最初に粗挽きした時に出る一番粉(御膳粉、更級粉)が白くて微粉であるが風味は薄いのに比べ、甘皮のあたりは風味、甘みが強い。ただし色は真っ白ではなくなり、緑がかった薄茶色になる。
 福井で蕎麦を早刈りして青みの強いソバ粉にし、越前蕎麦の評価を高めているらしいが、それはうなづけないことはない。それも甘皮まで挽きこんでこそなのだろうが、甘皮にも難点はある。風味や甘みは強いが、この部分だけをなめてみたり、蕎麦打ちしてみたら判るのだけど、いわゆるネチャネチャと「歯にぬかる」のである。ぬかるくらいだからつなぐ力は更科粉などの内層粉よりずっと強く、これらを混ぜた方が十割でもつながりやすくなる。
 粗挽きがうまいといわれるのは、風味の多い部分が適度に粗いために「ぬからず」しかも風味豊かであるからだろう。
 とにかく、一番粉から甘皮を挽きこんだものまですべてを混合した、いわば全粒粉にすれば問題なく打ちやすく、しかも風味があっておいしい蕎麦になるのではないかと、わたしは思うようになり、その線で製粉作業をする。

 (それから、甘みは乾燥しすぎると失われるような気がするのだけど、科学的根拠はない。この秋にテストしてみたい)


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