締め切りまであと20日しかないにもかかわらず、並行読書ならぬ並行入力でエッセイ、
『紙背の向こうに見える暗くて明るいシベリア――文学が描く、存在と世界のDouble Meanings――』
を書き始める。小説も書けないのにまったくの阿呆であるが、これは私の尊敬するひとの自身のシベリア抑留体験をもとに書かれた、昭和58年刊の『白の影絵』と、昨年発行された『白の影絵 終篇』についての必死の感想文である。
誰かが書くと思っていたら誰も書かない、腹立ち紛れの執筆である。
(私は、ほんとは、怒ったら本気でタバコもやめてしまい、本気で危ない文章を書いてしまうような、暴走しがちで厄介な男なのでR。 (^_^) )
一枚目だけで一向に書き進められない短編の方も相変わらず行ったり来たりで、22行×26字の狭いレイアウトの中をかけまわる孫悟空な感じ。
この目が回るような初めと終わりの連環にはバック・グラウンド・ミュージックとしてやはりバッハの「無限(無窮)カノン」がふさわしいのだが、まだ、あの中古CD、売れずにあるだろうか?
「君よ憤怒の川を渡れ」この世のしがらみから大きく跳躍し思い切り自由になって、雷光を背負って怒濤のごとき疾走をしてください。
返信削除ありがとうございます。
返信削除書いている時は書き癖、休んでいる時は怠け癖、どちらもその時、その時、自然で困ってしまいます。
どうも人間が丸くなってしまったのがよくないようなので、憤怒と悪意に満ちた世界をイマージュしていますが、どうも空回りしています。