文芸同人誌という、相当に繊細な知的集団生活にそぐわないと判断せざるを得ない発言が発生。
自分の意見を言うことだけがすべてであって、その発言を他者がどう考え、感じるか、そこまで考えてから書き発言することが出来ないとすれば、個人ホームページか個人誌という形で自己表現(自己実現)していただく他はない。
何が困ると言って、集団生活では自己中心主義だけは困るのです。しかも創作ではなく評論を書かれるとあっては、何をか言わんや。言葉が単なる武器に成り下がってしまいます。
自分の意見を言う前に、先ずは相手の考えや気持ちを知るべし。人生が闘争であるにしても、敵を知り、己を知ってからの闘争でないと相手にされません。
��自分が歌を忘れたカナリア状態であるのに、同人募集を謳うのはおこがましいので、同人募集を削除)
レーモン・クノー「きびしい冬」が1939年、サルトルの「嘔吐」が1938年刊行。
1939年というと1020年生まれのボリス・ヴィアンはまだ19歳だった。
CD「私は私、このまんまなの~ジャック・プレヴェール作品集」の在庫確認メールがようやく来た。
「バルバラ」や「枯葉」は有名だが、「葬式にゆくかたつむりの歌」や「割れた鏡」にまで曲がつけられているとは知らなかった。「割れた鏡」はイブ・モンタンが歌っている。
楽しみ、というかこの二曲を聴くと、泣くかもしれません。
『割れた鏡』
たえまなく小人が歌っていた
ぼくの頭のなかで小人が歌っていた
青春の小人が
短靴の紐をぷっつり切った
祭りの小屋のいっさいが
とつぜん跡かたもなくなった
この祭りの沈黙のなか
この祭りの砂漠のなか
ぼくは聞いた きみのこのましい声
きみの裂かれたかぼそい声
こどもっぽいひとりぽっちの声
遠くからぼくを呼ぶ声
ぼくは胸に手を当てた
そこには
血にまみれゆれ 動いていた
星をちりばめた きみの笑いの ガラスの破片が 七つ
(嶋岡晨訳「J・プレヴェール詩集」彌生書房刊)
「葬式にゆくかたつむりの唄」の真似をして、昔、「カタツムリの結婚」という詩を書いたくらいのプレベール・ファンなのでした、(ーー;)。
明日は信文協役員会のため和田峠越え。
若者を取り込むための活性化策も考えず、ただただ、役員会と総会と文学賞、その繰り返しに終始していて……それでいいのだろうか? 脱退も視野。
萩原朔太郎さんの歌が書かれたブログに書き込みしましたが、今、見てみますと消えてしまったようです。
返信削除「照葉樹」もたった三人で始めたにも拘らず創刊号で、言い出された方が離脱されて、同人誌の難しさをしょっぱなで痛感いたしました。今も色んな方からアドバイスを受けるのに、二人ではなくて同人を増やしなさい〜と言われますが、なかなかその勇気が出ません..。いま、二人でやっていくことさえも細かい波がたつようで〜恐いくらいです。
あれ? 朔太郎の俳句の方のコメント、消えていないはずですが。
返信削除同人誌、大所帯での運営もいいですが、少数精鋭といいますか、少人数の親密な運営がベストと思います。
「照葉樹」はその点でむしろ理想的です。「照葉樹」に適さない同人をどんなに増やしても意味ないというか、むしろ弊害ばかりですので、同人数は気にしないほうがいいと思います。
小説を書こうとする者は、皆、繊細な思考や感覚の持ち主ですから、自己を知ることと他者を知ることがイコールにならなくて、もっぱら自己主張(自己表現、自己実現)しか眼中にないひとだけは願い下げにしたいです。
どうしてだか、昨日はどうしても開かなかったコメントが、今日見れました。何故だろう〜〜。I POD は家で使用することもないし、結局ウオーキングのときに使うのですが、只でgetしたのでつい嬉しくて200曲くらいいれて満足しました(^-^)
返信削除照葉樹はきっと2人で行くと思います。書く人はやはり自己主張も強く感性も鋭いかたが多いですから、新しい方を入れるのは勇気がいりますね
創刊号のときは、本当に大変なおもいをしましたから、あのときの教訓を忘れないようにいたします。
あ、そうでした。I POD は歩行中の使用に最適でした。
返信削除そういえば詩に雑誌で二人誌を見かけますが、二人誌にはなかなかいい雑誌があります。
夾雑物が入らなくていいし、ツーといえばカーと意思決定が敏速でいいと思います。