同人専用掲示板と、会のオンライン事務室全体にアクセス制限をかけてあるのと、二種類のCGIに同じIDとパスワードを設定しなければならないが、ふたつのCGIサーバーが別物なので、ややこしい。
あれこれ試してみているうちにようやく設定画面に入れて、めでたくIDとPassを登録。入れるかどうか、そのIDとPasswordで入ってみる。OK。
やはり、パソコン、ネット関係のID,パスワード、FTPの設定項目など、ノートに手書きで書いておくのが、万一の備えとしてはいちばん。先日もIDかPassのどちらかが違うのか自分のブログに入れなくなって、結局ブログを引越しした知人あり。笑い事、ではない。
このブログとウェブで二ヶ所の合計三ヶ所に設置してあったウィンドウズ・メディア・プレーヤーなどのプラグインを一斉にはずす。どうも、最初は感じないのですが、あれがあるとページが開くのがかなり重い感じになる。はずしたらぱっと開くのでそうなのだろう。
レーモン・クノーの「きびしい冬」を読み始めようと手元に置いたが、開いてみたらあちこちに鉛筆の傍線が引かれているので休止。読む前に消しゴムで傍線を消す作業をしなくてなならない。ほかに入手できなかったので文句は言えない。世界文学全集23、ジロドウ・クノー(集英社、昭和四十年刊、520円)。
昔、冬樹社版の坂口安吾全集が新本では2,000円だったので高くて買えず、古本屋で探しては購入していたのだったが、ある巻を買って帰宅し、早速読もうとしたら随所に人間の鼻毛のようなものが張り付いていて閉口したことがあった。前の所有者は異様な癖の持ち主であったらしい。
無論、読書は中止、日曜日に雑貨屋で小さな手箒のようなものを買い、近くの公園へ行って、それらをすべて払い落とし、終日、日干ししたことがあった。それに比べたら鉛筆の傍線などは、それを引いた人物がなぜそこに傍線を引いたか知的好奇心をくすぐる余地があって、まだかわいいところがある。
そんなことを思い出しながら「きびしい冬」の鉛筆傍線を消し終えて、ふとその前の小説「人生の日曜日」のラストに目をやったら、本文の後に小さな活字で以下の断り書きが……。クノーらしい。
この小説に登場する人物たちは現実に存在するので、かりに架空の人間とそっくりであるにせよ、それはすべて偶然である。テレビドラマなどの最後に「このドラマはフィクションです」とか要らぬ断りが入るのを思い出して、クノーのひねり具合にクスクス笑わされてしまいました。
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