2008年10月29日水曜日

いかりのにがさまた青さ

 ここ数日、家庭用の冷凍庫の価格と性能をネットで検索している。
 あまり大きすぎるのはエネルギーの無駄遣いだし、出来れば国産、出来れば上蓋式のチェスト式ではなく、庫内の品物全体が見渡せる、前ドア式の何段かで仕切りされたもの、と検索していったらおのずから国産のM電機のものに決定。あとは価格調査のみ。
 実はファックスも、送信は問題ないのだが受信に際して2枚目以降が紙詰まりとなって受信停止してしまうという症状が出ている。感熱紙を1枚ずつカッターで切るタイプなのにカッターで切れない、それで紙詰まりになるらしい。修理依頼するほどの年式でもなく、そろそろ買い替え時期なのかとこれも検索して機種に見当がついた。SDカードが使える機種が出ている。これだといちいち用紙に印刷する前に液晶画面で内容を確認して、必要なものだけ印刷すればいいし、ファックス本文をjpgファイルとして、パソコンに取り込めるようだ。

 それにしてもこの一ヶ月は凹むことの多かった月であった。
 なぜか、私は結果としてひとを傷つける方の立場に立っていることが多い。
 修羅という言葉を思い出し、それから宮沢賢治の「春と修羅」に連想が飛ぶ。
......
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾〔つばき〕し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ......
  「春と修羅」より、部分引用


「おれはひとりの修羅なのだ」と言いきれてしまう詩人は、さすがにすごい。
ひとりの修羅になりきれたら、小説などバンバン書けるのだろうけどね。
 明日は亡き兄の初めての月命日であるので、墓参りに行こう。

2 件のコメント:

  1. 知らない間に、人を傷つける結果になっていることってありますよね。そのときの、つらさは、相手にも、第三者にも、分かって貰えない。
    しかし、よく考えると、始めから他人を傷つけようなんて意図は、まったくないのです。
    始まりは善意の言葉だった筈なのに、自分の言葉が誤解されたり、相手の精神状態が良くなかったり、勝手に周りが動き出してしまって、物事の流れがどんどん思わぬ方向に曲がってしまって、気がついたら、誰かが傷つく結果になっていた…。いくら必死に説明しても、怒ってしまった相手は心を閉ざしてしまった。
    そのことで、相手との仲がぎくしゃくしてしまって、「あのとき自分が言い出さねば、やろうと言わねば良かったんだ…」と、ひどく落ち込むことになる。
    私には、そういう辛い思い出があります。
    たぶん、他の人たちも、そういう経験があるのでは? 
    こっちも同じくらい、いえもっと複雑に傷ついているのですけどね…。
    人はみな完全ではあり得ないし、仕方がない、と諦めて、やっぱり、自分は自分なりによかれと思う道を歩くしかないのでしょうね。

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  2. そうですね、どちら一方がではなく、相互的ですよね。
     それにしても、人間ってどうしてこんなにも簡単に、あさりと修羅に憑かれてしまうんでしょうね。秋の草枯れどきではありましたが。
     ほんとうは小説にこういうこともきちんと書きこんでいかなくてはいけないのでしょうが、考えただけで気が重くなります。
     そんな暗鬱なものを、誰が書き、誰が読むのか……と二の足を踏んでしまいます。
     読んでくださる方が明るく、前向きな思考や感覚になれるような小説が書ければいいのですが、どうもその反対な小説にばかり目が往ってしまって損です。
     存在と世界を「責める作家」と「赦す作家」がいる、自分で責めて自分で赦したのは太宰だと、確かそのようなことを、三島が言ったんだったか誰だったか、記憶が定かではありませんが、Nさんも私も、どちらかといえば責めるタイプの書き手ですよね。(あ、磯野ひじきさんは赦すタイプの短編を書かれました。二刀流? うふふ) 
     

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