2008年3月9日日曜日

これは小説ではない

 Polyphonyという仮題に、さらに「この世のすべての一人称のために」などというますます怪しい仮題が加わった。ま、仮題は仮題なのだから、いくつあっても書くためのイメージを強化してくれれば排除する必要もないが、どちらもサブタイトルにはなっても本題にはならないような......。
 昔、長い題名をつけたら、尊敬するHさんに「君ィ、テレビドラマのタイトルみたいな題名、つけるなよ」と言われたのを思い出した。一時期、故意に長い題名にしていた時期があった。
 
 それにしても、物語とか筋、ストーリーに頼らない小説を書くのは難しいし、そもそも小説からそういった縦糸を取ってしまって、それで小説と言えるのかどうか疑問である。
 ただし、小説がたとえば一個の人間のあるまとまった時間の流れとともにストーリーを生じ、一つの統一された世界を形作るというのは古い時代のロマンなのであって、それが今でも通用する方法であるかどうかは別問題だ。この方法の方が書き手にも読み手にも解りやすいのは事実だが、だからといってこの方法で人間を本当に表現できているかどうか、考えると怪しい。外側から体裁づけられてしまっているような気がして信用できないのだ。人間てこんなに統一性があるものか? と。
 ストーリーや時間の流れにそうのではなく、別の方法はないか。
 ああ、でもやはりストーリー、時間軸にそって書かれてきたこれまでの小説を小説だと思っているひとには、こんなのは小説ではないと即座に言われるのだろうな。
 でも、まあ、それは承知の上。自爆するにしても、ひとつの簡単な実験だと思えばいい。
 いわゆる小説らしい小説を書くのが嫌でずっとサボってきたのですから、この煩悶は仕方ありません。

 それにしてもこのペースでは3月末に仕上がる可能性、0.5%くらい。

 またまたしつこく、マタイ受難曲のなかのペテロの否認の後のアリア、「憐れみ給え、わが神よ」を聴きながら、ふと気になった部分を立つのが面倒でネットで検索したら、口語訳だがあった。
 そのとき、イエスを売ったユダは、イエスが罪に定められたのを知って後悔し、銀貨三十枚を、祭司長、長老たちに返して、「私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして。」と言った。
 しかし、彼らは、「私たちの知ったことか。自分で始末することだ。」と言った。
 それで、彼は銀貨を神殿に投げ込んで立ち去った。そして、外に出て行って、首をつった。

 そうでした。忘れていましたが、ユダは首を吊ったのでした。
 

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