活字が小さくて、「パーカーの背中」だけを読んで後回しにしていた『オコナー短編集』(須山静夫訳、新潮文庫、昭和50年二刷)に戻った。が、天邪鬼なので掲載順にではなく、7編中4番目の「善良な田舎者(Good Country People)」から再開。
後半、ホープウェル夫人の娘で、幼い頃に遭遇した狩猟事故のために片足が義足であるジョイが、聖書を売りに来た青年と約束して翌日ささやかなピクニックに行く。
牧草地の中の納屋の二階に上がってからのふたりの間の駆け引きがすごい。表向きは恋愛の駆け引きのようだが、実はそうでない。
結局、最後には聖書売りの青年はジョイを騙して義足をはずさせ、こともあろうにその義足を奪ってカバンの中に入れ、納屋の二階の梯子を降りていってしまったのである。
ふたりの間で交わされた心理の攻防の結果が、義足を奪うという「悪意の実現」になったと思うのだが、どうも確かにそうだという判断がつかない。神を信じないはずのジョイが神の近くに居て、神に近いはずの聖書売りが反対に神に遠い存在であることが判るのだが。
納屋でのふたりの攻防の場面はもう何回か読み直してみたい。それだけすごい。
それにしても、小説や映画にたまたまこの「聖書販売人」が登場するが、詐欺師やらインチキくさい人間が多いのはどうしてだろう。
改めて「田舎の善人」を読み返し、これは使用人のミセス・フリーマンが蔭の主人公ではないか、と思いました。
返信削除「義足の自分のうわべしか見ない人々」にじっと耐えているハルガは、哲学の博士号をとったのだが、病弱なために虚しく家に戻ってきている。ハルガの虚しい様子に、母親は、教条的な標語のような慰めを、自分にも娘にも押し付けてくる。それがハルガには耐え難い。
母親は、鈍感に、「ひとはそれぞれ違うっていいことなのよ」などと、おまじないのように義足の娘に言う。自分自身を納得させるためだけに言う。他人の心の複雑なありようなど興味がない。ハルガは、突然食べ物を口に入れたまま立ち上がり顔色を変えて叫ぶ。「女よ!あんたは自分の内面を見たことがある? 内面を見て、自分とは違う存在を見たことがあるの? まったく!」そして、「私たちは自分を導く光ではない。光ではない!」と呟く。
ハルガは、一家で苦労して農場の使用人の今の仕事にありついた「観察者」であるミセス・フリーマンについては、その鋼鉄のように鋭い小さな目は、うわべを貫いて、奥深くにある秘密の事実を暴いているようなものを感じている。
今回の、変態的な男に義足を盗まれるという最も大きな悲惨を、予感し、事後に見通したのは、ミセス・フリーマンのみだった。
ハルガとは、オコナー自身の投影に他ならない。
以前「田舎の善人」を読んだときには、ハルガは義足をうしなったことは悲しんでいないように記憶していたわけが、これで分かった。
ハルガは、ありのままの自分を受け入れてくれる人間をみつけたと誤解して、体をゆるし、好奇心だけの卑しい男に義足を奪われて逃げられてしまった。その自分自身に、激しい絶望を感じている。義足はまた作ることが出来るだろう。けれども、義足を失った経緯や自分の愚かさは、死ぬまで残る屈辱であり、ハルガを打ちのめしている。「田舎の善人」とは皮肉な題名である。
以上、私の今の理解です。また変わるかもしれませんが。
「女よ!あんたは自分の内面を見たことがある? 内面を見て、自分とは違う存在を見たことがあるの? まったく!」
返信削除まさにこの引用された言葉によって明確に表現されていますが、母親は自己と他者の区別があまりつかないタイプの人間です。他者はみな自分と同じように感じ、考え、行動するものだと、そうとしか考えられない人間って結構多いものです。
それに比べたらミセス・フリーマンは自他の区別がつき、ハルガ(ジョイ)を冷静に客体として見る目を持っています。
聖書セールスマンの青年も明確な他者としてハルガに接近し、そのためにハルガは翌日待ち合わせの場所へ行ってしまいます。自他の区別もつかない母親に比べたら、多少胡散臭い感じは否めなくても、まったく他者然とした青年は魅力的ですらあります。
この作品で善良でない側面をいちばん多く垣間見せるのは、もちろん聖書セールスマンを装った青年でしょう。多分彼はああしてよその家に入り込み、足の悪い女性の義足だけでなく、隙あらば何でも盗み去るに違いありません。はっきり言って悪人でしょう。ただし、善良といい悪人であるといい、その径庭の差異はどれくらいあるのでしょう?
オコナーの作品から飛躍して自分勝手なイマージュに転じてしまいますが、私の頭の中で、義足を奪われたハルガの哀しみと、義足を奪わざるを得なかった青年の哀しみとが秤の上で微妙なバランスを取って、水平を保っています。
むしろ、義足を奪わざるを得なかった青年の哀しみを描いて見たいような気がして来ました。
そうですね。「義足を奪わざるを得なかった青年」の心理状態やその背景を、もし現代に持って来れば、この作品とはまったく違う様相をみせるかもしれませんね。
返信削除単なる正義とか悪とかいう言葉で決め付けられない、多面性のあるのが人間です。