2007年1月14日日曜日

樹のフォルムを撮る

 例年、卒論ぎりぎりの時期になると検索で来られる方が少し増えるが、今年は「プラトン」が少なく、フォークナーの「八月の光」と「エミリーに薔薇を」、「あの夕陽」が多い。
 それにしても検索の仕方でも向こうの様相が垣間見えるのがおかしい。「八月の光、あらすじ」などという検索で来られると、「おいおい、検索で荒筋なんか知る前にちゃんと読めよ、読んでから人の感想と自分の感想を比べたらどう?」 と突っ込みを入れたくなります。
 反対に「八月の光 ハイタワー リーナ・グローヴ」などという検索だったら、「お、やってますね、がんばって」と言いたくなります。

 また本を一冊オーダーしてしまった。3780円が2,000円。

 配偶者の薄い中綴じ印刷の雑誌のレイアウトを開始。二人で詩と詩論二編なので簡単だが、表紙の画像まで任されているので、明日は写真を撮りにいかねばならない。前号は「ベンチの孤独」というタイトル(いちいち表紙写真にタイトルなんか付けるなよって、自分で自分に突っ込み! )だったが、今回は何の孤独にしよう? 「木の孤独」にしたいのだが案外難しい。対象の樹木一本だけを撮りたいのだけど、周囲がすっきり何もない場所に木が一本だけという状況はとても少ないし、第一その前に、木のフォルムが気に入らなくてはならない。
 私は、小説なんか書くよりも、樹のフォルムばかりをカメラに収めるようなヘンなカメラマンになりたかったのかもしれない。(-_-;)
 そんなことを思うのも、偏愛書であるカフカの『観察』のなかにある、文庫本でたった4行の「インディアンになりたいと思う」という文章のせい。
 インディアンになりたいと思う、油断なく身構え、疾駆する馬上に、大気をななめに裁断する、小こざみにふるえる大地のうえを、くりかえしこまかく震動を続け、やがてたづなをはなす、もはやたづなはないのである、やがて拍車をなげうつ、もはや拍車はないのである、かくて眼前にひろがる台地が、なめらかに刈り取られた草地と変ずるとき、もはや鞍上人なく鞍下馬なし。
  本野享一訳『ある流刑地の話』(角川文庫)より

 それにしてもこのカフカの、「観察」というささやかな断片を集めたもの、好きだなあ。

 オコナーの「善良な田舎者」読み始め。

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