探しても無いのでよく考えてみたら、昨年の5月のハードディスクのクラッシュで「小説書きかけ」、「エッセイ書きかけ」、「詩書きかけ」という3つのフォルダが全部消えてしまったのでした。Meでかろうじて動いているデスクトップにも同じ名前の3フォルダがあることはありますが、ノートを購入する前のだから中身がずいぶん古くて、開いてみたが触発されて気持ちが動くものが何も見当たらない。
まだしばらくは頭の中で堂々巡りを続けるほかありません。
一応、「小説書きかけ」フォルダを作って、デスクトップに置きました。
空っぽのフォルダが自分の脳の中とおんなじに見えて、ゾッ。
まあ、このブログの更新がある間はダメでしょう。更新が途絶えたら、深夜に鉢巻をしてそこに鉛筆の10本も挿して鬼気迫る形相で書いているかも知れませんが……何とも想像しにくい……(ーー;)
しかし、オコナーも止まったままだし、クノーの『きびしい冬』も手つかず、ゾラ・セレクション1も届いたまままだ開いてもみてない。
毎日、あんなに本が読めて評文も書けるLydwineさんが、裏山鹿。
気持ちを立て直すために、坂口安吾の短いエッセイ『ピエロ伝道者』を再読。
そういえば、せっかく外付けハードディスクを購入したんだから、きちんと定期的にバック・アップをしなければ。
ふぇーん、泣くな。(絵文字じゃなくてすみません)
返信削除ブログがとまらないんですぅ~・・・。ようやくイメージが固まりはじめたのに・・・。いろいろな断片のうち、これならものになるんじゃない、って思えるのが、ようやく出てきたのに、ブログが・・・。あやっ、ブログのせいにしちゃあいけません。私も、ブログ更新がとまったら、書いてると思ってください。
それから、最近、ズルを覚えました。勢いがついたときに短篇をいくつか読んで、小出しにして、読まなかった日の穴埋めに使うという・・・。
小学生のとき、写生大会で、とても広い公園に連れて行かれて、さぁ描けと言われたときのように、なんだか胸がモヤモヤとしているが、どこをどう描けばいいのか分からない、広すぎて…、汗。むしろ、目の前の、花瓶とか友達の顔とか、身近なものを描くほうが、さっさと描けたりしますよね。小説も、それと似ているところがあると思います。私は意地でも広い公園を描こうとしますが。それで0点なんです(笑)
返信削除��深夜に鉢巻をしてそこに鉛筆の10本も挿して鬼気迫る形相で…
私のような昨日今日の小説書きも、共感してしまいました。小説書いているときの姿って、たぶん、だれにも、見せられない、汗。
kairouさんの言うところ、よくわかります。
返信削除私も、屋上にあがって好きな風景を描けといわれ、描きはじめて、しばらくして、ほかのみんなの絵に比べ、自分の絵がべつに当時は視力が悪いわけでもなかったのに、遠景のパノラマで、でも臆病者の私は、みんなに合わせて、油だったのを幸い、上塗りして描き改めました。
かたや、おニャン子クラブの面々にスタジオを写生させたところ、美大出身だった高井麻巳子(現・秋元康夫人)は、なんと、ステージにあがる3.4段ほどの階段を描いて、みんなを驚かせたとか・・・。
世界の見え方、捉え方が、絵描きと文章描きでは違うのでしょうね。
でも、私、学生時代、文章より絵のほうが評価してもらってたんですけどねぇ・・・。
>むしろ、目の前の、花瓶とか友達の顔とか、身近なものを描くほうが、さっさと描けたりしますよね。小説も、それと似ているところがあると思います。
返信削除そうそう、 それで、そういう小説の方が解りやすいので支持されやすいんですよね。
そういえば、小学校5、6年の先生だったか、太い欅の木を一本描いただけの絵とか、だるま市でだるまがびっしり並んでいるのを描いた絵とかを誉められたのを思い出しました。
その先生以外には絵を誉められたことはないですね。