2007年1月11日木曜日

文章の自然な呼吸

 怪しいメールが来た。差出人はカナダ、オンタリオ州に住む友人だが、件名が「Fw: Delivery Status Notification (Failure)」で、ご丁寧に添付ファイルまでついている。ひょっとして、彼のパソコンがウイルスにやられたか、とビクビク。
 以前、私の本アドレスが登録されているどなたかのパソコンがウイルスにやられたらしく、私の本アドレスを騙って発信されたメールが、あて先不明で受信されずに発信者アドレスである私あてに続々と戻されて来て、うんざりしたことがある。第一戻されずに受信されたメールはどうなったか? 開封されたらウイルス感染必至である。私はアドレスを騙られただけで責任がないような、あるような、やりきれない気持ちで、その時も仕方なくアドレスを変更した。
 「Fw」は転送であるからますます怪しい。怖くて開けられない。仕方ないからこのメールをデスクトップに保存し、アンチ・ウイルス・ソフトでこのメールだけをウイルス検索してみた。異常なし。
 そこで開いてみた。
 そうか、昨年の秋に本アドレスを変更して、兄弟、こどもたちには変更を知らせたが、彼とも本アドレスでやり取りしていたのを忘れて連絡しなかったのだ。
 「Fw: Delivery Status Notification (Failure)」
 このメールはプロバイダから現在の本アドレスに転送されたものだったのだ。
 早速新しいアドレスで年賀の画像添付し、返信した。ついでに、茎の中まで赤いルバーブがそちらにないかという質問までつけて。


 さて、小説について、悪くなった頭で考えたこと。
 小説の書き出しがいかに大切かは、たとえば小説を読み始める時に切実に感じる。同じ日本語で書かれた小説であるにもかかわらず、書き出しからすーっと何の抵抗もなく作品世界に入って行ってしまう場合と、最初からつっかかって先へ進めず読むのを断念する場合がある。無論その中間もあって、我慢して進んでゆくうちにそのい文章に慣れて行って読み通せる場合もある。
 三島由紀夫のデビュー当時の文章を「だっただったと機関銃のようだった」と表現したのは誰であったか。忘れてしまったが、センテンスの短い文章にはそう難渋はしない。
 またセンテンスが極端に短くなると自殺する傾向があるという文章は誰かのパトグラフィに書かれていたのだったか、それも若い頃の読書なので忘れてしまった。
 難渋するのは、センテンスが長い作家の場合が多い。
 文章は作家固有の息=呼吸の仕方で言葉と言葉がつながれてゆくのだが、これにはやはり相性がある。短距離型と長時間潜水型とでは言葉の息の仕方がまるで違う。野坂昭如のあの文体を最初に読んだ時には、息の仕方が分らず何度も放り出したりまた手に取ったりを繰り返し、そのうちに息の仕方が呑み込めて来た。それにうまく乗ってしまうと、何ともきわどく絶妙な息の仕方で書かれていることが解る。
 また古井由吉の文章も、最初は息がうまく出来ない。酸欠を起こしてめまいが起きそうになる。「杳子」と「妻隠」だけをかろうじて読んだ。
 今、活躍している作家では川上弘美の文章が実に自然に即した呼吸法で書かれていて、だから読むのもものすごく自然に読めて、言葉が一種の皮膚感覚のように心地よくまとわりついてさえ来る。こういう文体の本は快楽原則に則っているから幾らでも読める。
 いずれにしても、センテンスの長いタイプはよほどセンスが良くないと悪文になってしまうので、自信がなかったらほどほどに短めに切り上げた方が、自分にも読者にもよい。
 それから、「描写」で小説を書こうと思ったら、そう長いセンテンスでは締まりがなくなるので、やはり標準のセンテンスがいいのだろう、などと考え始めたのは多少締め切りを意識し始めたからだろうか。
 でも五、六行書くとこれがつまらない文章なので、「こんなつまらないもの」と先へ進む意欲を喪失してしまうのがここ何年ものパターン……。

6 件のコメント:

  1. 現役では、金井美恵子の文章が、なんとも息苦しいほどに長~いセンテンスを使いますね。
    私の偏愛する中上健次も、かなり長いセンテンスでした。かくいう私もセンテンスが長くなる傾向があったのですが、最近短くなってきました。自殺をする気はないですが・・・。って、それほど短くもないか。
    でも、私って泳ぎはかなりは危険です。肺活量も低い。それでも、呼吸が合う文体というお話はよくわかります。なぜこの作家の文章は気もちいいのだろう? とわからない作家がいるのです。今なら、松浦寿輝が、小説は面白いけど、評論なんて、わけわからなくても読めてしまう。それから久生十蘭。私からすると、美文です。これはやはり呼吸が合うとしかいいようがない。
    私の現状は、書き始めさえ浮かばず・・・。〆切まで3ヵ月を切ったのに・・・。N富さん曰く、推敲もいれれば、小説書きには最低3ヵ月は必要と。あううう。

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  2. 雑事の合間に…。金井美恵子の文章は、ずっと読点で続くので、書き出しの、誰が、何が、を、途中で忘れてしまうほどです。でも文章はどこを切り取っても本当に美しい。大好きです。長さ以外は。
    古井由吉へのご感想には、共感。濃い霧に巻かれたように息苦しいし、迷い道に入ったような気持ちになります。あれは主語がほとんどないからかしら。誰のことを誰が話しているのか、しばらくわからないこともあるし、途中でふっと少しですが、書き手と読み手の居場所がずれるような気がします。
    Lydwineさん、最低三ヵ月も必要なのは、のろまで不器用なくせにしつこく文章をいじりまわすN富の場合だけでは…。皆さん、けっこう良いものを短期間で書いておられるようです。

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  3. 松浦寿輝は文○界に最初に掲載された小説を読んだ記憶がありますが、以後はスルーしています。
    そうでした、女性作家では金井美恵子はセンテンスが長かったですね。私から見ると異様に長くてたまりません。

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  4. 古井由吉も好きなんですよ、私。ようするに、長いセンテンスが好きなのかも・・・。映画も、相米慎二とか、長回しの人が好きだし。
    金井美恵子も、「プラトン的恋愛」とか「愛の生活」なんて初期はそれほど長くもなかったように思うのですが、先般の新著は、書店で書き出しを立ち読みして、あまりのセンテンスの長さにたじろぎ、買いませんでした。
    私のしるかぎり最長センテンスは、やはり筒井康隆の「虚人たち」ですね。長篇ワンセンテンス。まぁ、あれは反則技ですが、本を閉じたら、どこまで読んだかわからなくなって、苦労しました。
    N富さま。
    私も時間をかけないと駄目なんです。N富さんの名まえで書いちゃいましたが、私自身が、私のこととしてまったく同感なのです。追い詰められないと書けない、という方が多いようですが、私は追い詰められると書けない質でして、いざ追い詰められると、や~めた、オイラはプロじゃないもん、って逃げちゃうのです。最低ですね・・・。

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  5. そういえば、方法論としては別物になりますが、ジョイスの『ユリシーズ』の最終章「ぺネロペイア」も句読点が十ヶ所もなくてブルームの妻モーリー(だった?)の独白が蜿蜒と続いていて、初めは読めませんでしたが、不思議と慣れてくると乗れるものですね。
     Lydwineさんは、どちらかといえば「だった、だった」よりもセンテンス長めの方が好きでしょうね。
     おふたりともご安心を。先ずは原稿間に合わない常習犯は私ですので。もう完璧に開き直っていますから。
     「書けない宣言」しちゃった方がいいかなとか考えているんですが、あえて宣言するのも大人げないような気もしますので、しないんです。

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  6. N富です。(もうずっとこれでいこう)。
    松浦寿輝は、詩が良いと思います。私は、詩から入りました。彼の小説となると、企みが見えてしまう。でも、詩はそうではなく、本当に良いです。それから、愛猫を亡くしたときの、新聞紙上のエッセイの、ナリフリ構わない号泣ぶりがすごく好きでした。読んで、彼と一緒に泣いた人は多いと思う。

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