土曜日の雪は積もったのは山岳部だけで、平地はほとんど霙、雨で積雪はなかったが、今日は平地でも降りしきり、10cmくらいは積もった。午前は運転手でショッピングセンターやセルフ・ガソリンスタンドやらへ行き、おしまい。午後は、昨日の近所のパソコン・レスキューの続きと道路や庭の雪かきでおしまい。持ち主が壊れていると言っていた内蔵CD-RWドライブが生きているのを発見し、先ずは内蔵ドライブでCD-RWでファイルやフォルダをドラッグするだけでRWに書き込みできるパケット・ライティング・ソフトをインストールした。(XPならそういうソフト無しでRWに書き込みできるのだが、Windowsのヴァージョンを確認したらMeだったのでソフト無しでは無理なことが判明。)
それで済んだと思ったら、内蔵のドライブの動作が何か心配なので、せっかく購入した外付けのCD-RWドライブも使えるようにして欲しい、と。ところが、MeだとどこをいじればふたつのCD-RWドライブが使えるのか判らないので、それはまた調べて後日ということにして帰宅。おみやげに煎餅一袋と天然ヤシ油とハーブで作った洗剤1リットル入りを持たされる。(そんなの要らないから煎餅だけにして)
それから、自分の同人誌の昨年11月に出た39号の作品評すべてを、ようやく今夜、今頃になって、遅れ馳せながら、スレッド式掲示板を使用した「オンライン合評会」に投稿終了。
編集発行人みずからが周回遅れで走っていては、他の同人の皆様にまったく申し開きが立ちませんので、これでほっ。
それにしても本当はやはり合評会は顔を合わせ、唾を飛ばしてのライブな会がいいと思う。
ネットで合評会も便利は便利なのだが、どうも不都合な面も目につく。下手をするとトラブルの発生なきにしもあらずで、不安はぬぐいきれない。
それならいっそのこと、同人全員がパソコンにカメラとマイクを取り付けて、インターネット会議が出来るようにして、それで○月○○日、午後一時から午後四時までモニターに同人の顔を映してのライブ合評会。これだったら、発言の都度、質問や補足発言やらができてスムーズな合評に近づく。
しかし、七、八人のパソコンから出るライブ顔画像を、モニターに配置し、会議を仕切れるソフトがあるのだろうか? (いや夢想しただけで実行しようなんて、考えていませんよ~、ほんとですってば)
オコナーは、たま~に、短編ひとつだけ読んで、当時のアメリカ南部の特殊な状況や歴史的な背景もあるので、これは、いったい何を暗示しているのだろうか……、と考えるくらいがよいのでは、と思います。
返信削除彼女特有のそっけない文章で、暴力的な場面のあとからやってくる「あるもの」が暗示されており、それが、キリスト教的な下地の少ない私たちには、なかなかすぐに理解できないときもあって、理解できないまま続けて次を読んでいくと、虚しく疲れてしまいますね。
私自身は、オコナーは、3,4ヶ月に一編の短編くらいでちょうど良いと思っています。そうして読むとふっと理解がいったりして、新鮮です。
PCやネット環境は、外付け脳みそ的な捉え方があり、実際漢字を覚えなくなったし、辞書も引かなくなったし、暗算もできなくなってしまったし、調べものも簡単。
返信削除なんだ、内蔵脳みそは思索だけに使えばいいのか、ってつもりで、バンバンPCに頼っていると、あっという間に、脳みそを含めた身体が置いてきぼりを喰っている感じですよね。
ジャック・デリダは、言語を、インド・ヨーロッパ語の発音記号と漢字などの象形文字から、音声重視主義の弊害みたいなことをいっていましたが、おなじ言葉といっても、話し言葉と書き言葉って、絶対的に機能が違うのだと思っています。対人関係のなかでは会話が持っている表情といって面がないと、機能しきれない。それでも機能しきるというのも問題はありますが。そして、書き言葉は、伝達とか、記録的な機能のほうが自然なのではないかな、と。
2ちゃんねるなどを見ていると、書き言葉では関係はそうそう成立しないのだ、とつくづく思います。
文章書きたろうとするものの科白としては、やたら弱気ですが。
納富さん、確かにオコナーを連続して読み続けると虚しく疲れてしまいますね。
返信削除ちょうど、数年前にフォークナーを幾つか読み続けていて「サンクチュアリ」を中途で放擲した時と同じ感じです。あの時は、ああ、これ以上は読み続けられないと白旗を揚げて降参いたしました。(いつか再チャレンジして雪辱を果たしたいですが。)
他の本を読みながら、気力が勝っている時に読みに行って、気力が衰えて来たら逃げるようにします。
Lydwineさん、ほんとうにそうです。
返信削除ネットとかで「おまえはバカだ」と書けば、文字通り「バカ」と伝えているだけですが、面と向かって「お前はバカだ」と大笑いしながら言う、苦笑いしながら言う、顔をしかめて言う、真剣な顔をして言う。それぞれニュアンスが違ってきますよね。
話す言葉は現在語で常に生きていて、書き言葉は時間の経過で死んだとは言いませんが意味ひとつになって硬化しているのかもしれません。
ネット上のトラブルはそういうニュアンスを纏えない「意味だけの裸言語」のやり取りになるのでじきに「バカ」、「何を、死ね」というようなことになってしまうんでしょう。
その点でネットに出現した顔文字なんかは、不足するニュアンスを補ってくれるもので、幼稚そうに見えますが結構機能していると思われます。(^_^.) って……物書きの端くれは顔文字なんぞに頼らず、言葉でニュアンスをきちんと表さねばなりませんが……。