2007年1月4日木曜日

風と穴の向こう

「渦」納富泰子(季刊文科」36号、2007年1月1日発行)感想

 暮れのうちに版元にメールをし、滑り込みセーフで「季刊文科」36号を入手して納富泰子「渦」を読んだ。すぐに感想が出ないまま、越年して日が経つにつれてじわじわと静かな共感がまさに渦のように広がり深まってきた。あまり時間が経つと逆に何も書けなくなるので、感想を書く頃合かと判断、書きます。

 先ず感心したのは「人物の描写」だった。
 ことに、龍子さん、お鶴さんという、夫源吾の養母と生母、このふたりの人間として嫌な部分も、好感を持てる部分もすべてを描こうとして全人的な人物表現を心がけているのには頭が下がった。
 たとえば龍子さんについて、嫁である深真子(しまこ)の視点から多くが語られているが、それだけでなく龍子さん自身の記録帳から孤独に煩悶する一文をそのまま引用したり、あるいは病院で面会時間が過ぎて帰ろうとすると必死で引きとめようとする姿を描いたりして、複合的な人物描写を積極的にされている。
 だからこそ、龍子さんがただの厭な養母としてではなく、さまざまな側面を持った生きた人物として読後に残像を残す。それは源吾の生母であるお鶴さんもそうで、矛盾したものを併せ持ちながらもひとりの生きた人格として描かれている。
 いいところも悪いところも人間、美しい面も醜くグロテスクな面でさえも人間、すべて人間の属性である、そういう確かな視点から、360度の方位から人間が人間として描かれようとしている腰の据わった小説である。
 
 次に、この作品を魅力的にしているのは、龍子さん亡き後の鍬山にある家とその周辺の描写の素晴らしさである。
 ことに凄いのは「風の描写」と「穴の描写」だ。
 まだお読みでない方に申し訳ないのでその詳細を書いたり引用したりはしない方がいいでしょうが、一ヶ所だけ「風の描写」をしている文章を引用します。
 畑の風車の音はからからと本当に軽い。風が眼に見える。一瞬の空気の流れを捉えて送り出す。あとからあとからやってきて通り過ぎていく風車は、骨が触れ合うような音をさせる。
 玄関のコンクリートの上で野良の子猫が丸い白いものを転がして遊んでいて近寄ってよく見ると、猫の小さな頭蓋骨なのだった。床下のどこかに転がっていたのだろう。深真子は首をすくめ、また縁側に戻った。坐って風車の音に身を任せていると、風車の鳴る音と頭蓋骨の乾いた音が縺れ合って、何だかこの世から離れたところに繋がっていく気がする。

 「穴の描写」もそうです。
 真っ暗で少しずつ広がっている穴からは風が吹き上がってきますが、最後まで何の穴かは書かれていません。書かれていないことで、読み手は漠然と穴の向こうにあの世とか彼岸、メエルシュトロームの大渦巻とかアンドロメダ星雲の渦巻なりを勝手に想起します。
 それによって『渦』は単に人物描写や情景描写に優れただけの小説ではなく、時空のゆがみや人間という存在の深淵さえ提示する小説になりえたのです。
 いつまでも記憶に残り、かえってイメージが徐々に強化されてゆく小説です。
 感服いたしました。


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 昨夜からフラナリー・オコナー短編集『善人はなかなかいない』(横山貞子訳・筑摩書房、1998年)を読み始め、「善人はなかなかいない」と、「強制追放者」を読んだが、感想は後日。

8 件のコメント:

  1. あけましておめでとうございます!
    ↓の蕎麦のお話を見てとてもナットクしました。と言うのも、今年地元で食べた蕎麦が、例年出前していただいた蕎麦屋さんと味が違う!!本場上州(信州ほどではありませんが)なのに、蕎麦の香りがしない。。。と、そういえば、以前出前していただいていたところでは、店の片隅で、石臼が絶えず動いていました。。。やはり、おいしさは手間隙がかかるのですね。。。
    新年早々食いしん坊の書き込みで申し訳ありません。
    今年も猫共々よろしくお願いいたします。

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  2. すなめりさん、いらっしゃい。
    本年もよろしく、といってもわれわれの話題は文学よりまあにゃ様たちや食べ物の話がメインですが、その方がシアワセかも……(実感!!)
    で、蕎麦の話ですが、地物の皮付の玄蕎麦から粉にした蕎麦の味を知ってしまうと、よほどの蕎麦屋でないと満足できなくて不幸であります。
    あまりひどい蕎麦を食べさせられたら、蕎麦屋の主人の首を絞めたくなりますからね。何だかんだと偉そうに講釈ばっかり言って、それでいてとてつもなくまずい蕎麦を出す蕎麦屋もありました。
    だからもう、外ではよほど評判のよい店でない限り、蕎麦を食べないようにしています ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナョ~
    (^_^)。

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  3. 書いた私が意図したところを的確に捉えてくださって、それどころか、穴を果てしなく闇に広げてくださり、風を空まで渦巻かせてくださっています。とても嬉しく、こういう瞬間があるから書き続けるのだろうな、と思いました。
    複雑な人間関係や、それにまつわるそれぞれの人間の言い分を、出来るだけ客観的に書きたいと思いました。まだ、踏み込み不足だったかもしれません。
    沢山の風車が激しく廻るなか、穴も暗く深くなり、ゆっくりと母屋の崩壊が進んでいく、その様子を最後に持って来たかったため、後半の初めの母屋の片付けのところで少しペースがゆっくりになり、もどかしく思われたのではないかと思います。
    そろそろ、また書き始めないと、と思いつつ……、まだコップの半分も水は溜まっておりません。お正月とか、家族がいつも傍にいてうるさいので、コップがあることも忘れてしまいます。

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  4. 昨日、探し物をしていて「季刊文科」18号を発見しました。資源ゴミで出してしまったのかなと思っていましたが、残っていてよかったです。なければ、かつての編集長に借りに行こうと思っていました。
    >後半の初めの母屋の片付けのところで少しペースがゆっくりになり、もどかしく思われたのではないかと思います。
    そうでもありませんでした。養子縁組解消の手紙が出て来たりして、わあ、うまいなあと感心したりしていましたから。
     今夜はずるをして読書はお休みです。

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  5. 「季刊文科」18号に転載になった「地面の匂い」はホームレスのことを書いたものでしたが、これを書くにあたって私がいちばん興味を持ったのは「臭い」でした。舞台とした天神の雑踏の中、ホームレスの傍に擦り寄っては臭いを肺いっぱいに吸い込みました。いつもホームレスの姿ばかりを追い求めていました。おかげで「臭い」の描写が真に迫っていたらしく、初めて私の小説を読まされた初老の女性が「雨に濡れてるテントのとこ、潰れた靴のところで吐き気がした。嫌な小説だったよ」と、真剣に怒って言いました。
    自分がもしホームレスになったら、と設定して、子供たちの小さな頃の懐かしい思い出を沢山入れて書いたので、私にとっては大事な記念になりました。まだ、小説を書き始めて間のない拙さのある作品ですが。

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  6. さっきの書き込みは、誤解を招きかねないな、とあとで気づきました。ホームレスに偏見を持ったものでは決してありません。
    むしろ、今日のホームレスたちの排除のニュースに、怒りを感じています。この寒空に行くあてもない人々を追い出すのではなく、行き先を用意して移動してもらうべきではないかと思います。ホームレスの問題は、炊き出しに参加していたときに、差し入れには石鹸がいちばん人気があることを知り、一生懸命に普通に暮らしたいと願っている人々が多いことがわかりました。障害を抱えた人がいることを知りました。車椅子の人もいれば、軽い知的障害者もいます。片足を引きずっている人も。彼らは庇いあって暮らしていました。ただ、一部に非常に身なりに構わないでいる人もいます。毎日お風呂に入っている私が言うのも勝手な言い草ですが、人間とは本来は人間の臭いを持っているものであって、人間がすべてを失ったときに、本当の人間の臭いになるということに、あらためて興味を持ったのです。
    ただ、傷つけることを怖れて避けるのではなく、そういう問題をテーマに選んで、資料を調べ、挨拶をし、話しかけ、小説を書くことも、大事ではないか、と思います。

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  7. 『地面の匂い』、まだ読めませんでした。
    今日からわが家も通常の三人の生活に戻りましたので、ほっ。
    読み書きは、そばに誰かいるとまったくダメなタイプですので。

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  8. いえいえ、あれは気にしないでください。何だかすごく昔のことのような気がして、つい、懐旧に浸って、いろいろ書いてしまったのです。
    いま、お手元に溜まっておられるもろもろ(沢山、積読がおありのはず)をゆっくり片付けられたあと、そのうち、気が向かれたら、何となくめくって、それで終わりにしてもらって全く構いません。
    こちらも雪が北の窓の下に少し積もりました。

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