残雪研究を読んだままドタバタしていて感想が書けない。書くとすれば再読しなければ書けない。いや、私にとって残雪の書くものを批評の対象ではありえず、読むという経験でしかないのかもしれない。彼女が書いた言葉を忠実に経験するだけで、あまり客観的に読んでいないのである。
「瓦の継ぎ目の雨だれ」はこういう書き出しである。
......「四月は雨の多い月だ」彼女はベッドに横になって思った。「四月が過ぎれば五月。わたしはもう大分よくなった」彼女の想像の中で、五月は美しいものだった。彼女は喘ぎながら、自分の肺をぼろぼろの魚網のようなものだと思った。壁のすみに縁が剥げた四つのほうろうの洗面器が横に並べて置いてある。雨が瓦の継ぎ目から漏れ、ポトンポトンと四つの洗面器の中に落ちて、水面に小さな泡が浮かんだ。
「三毛(サンマオ)」彼女は細く甲高い声で娘の名を呼んだ。「申立書を持ってきて」......
「残雪研究創刊号」(残雪研究会)
一文、一文が実に解りやすいというか、すでにこの五行で私はただの読者に成り下がって彼女の言葉の一介の体験者となっている。残雪がこの主人公に添って書いたように、私もまたこの主人公に添ってしまうのである。
かつて書店で偶然この本を手に取って立ち読みし、すぐに購入したこの本。
この時から残雪の作品にはもってこいの読者になってしまったのだった。そう、私は、彼女がつむぎ出す言葉をすべて無限定に受け入れ、読み=経験してしまう、最良の読者なのかもしれない。
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