小説、3作読んで、あともう一作だがこれが長いので一晩で読めず。
しかし、面白さを追求すると人物が薄っぺらになるというか、作者の操り人形めいてしまい、人間としてのシンパシーが薄れる。純文学はやはりその手の面白さを追うべきではない。人間という存在それ自体を描き出すべきなのだろうけど、それがなかなかうまくいかないので、ペンが宙に浮いてしまっている。
小説もまた演劇同様に一種の時間芸術なのであって、存在それ自体の一瞬の相貌を描いただけでは単なる瞬間芸に過ぎなくて、それが小説であるとは、到底、言えない。小説という言語芸術は通常は一日なり三日なり、一週間なり一ヶ月なり、十年、百年なりの時間を必要とする。時の流れのなかで人間という訳の解らない存在がどのような言動をとるかを描いたものが小説であると考えるのが一般的であるけれど、時間の経緯を停めてしまったように一瞬を蜿蜒と描写しつづけるのもまた、小説で無い、とは言えない。
蚕が糸を吐き続けてひとつの世界としての繭を形成するのと同様に、言葉でこの世を描写して時間を感じさせない言語芸術が可能だとしたら、それはあるいは、小説ではなくて散文詩にすぎないのだろうか?
思えばかつて、同じ同人誌で長い月日を共にしたN・T君に、「エウリピデスさんの書くものの底には虚無主義(ニヒリズム)がどかっと腰を据えている」と評されたことがある。
私が書くものは、よほど奇体(怪体)なのか、あまりまともに批評されたことはないのだけど、この言葉は今でも忘れずにいる。そう言ったN・T君もすでに同人誌から離脱して長い。
ヨーゼフ・ロートといえばドイツロマン派の三流作家にすぎないのかもしれないが、彼の切羽詰ったエクリチュールをバカにしてはいけない。あるいはホフマンスタールの「レンツ」の、あの切迫した叙述法。あるいは残雪のすでにこの世から魂魄ほぼ離れてしまったような、私離れした私の文体(=三人称ながらも三人称離れしてしまった叙述法)、!!!!
SD種、ほぼ発芽が揃った。6月29日に230粒播種して220粒くらい発芽している。脅威の発芽率。だがこれくらいの数では突然変異は見つからないだろう。気の長い作業で、見つかる前に死んでしまうかもしれない。
��北米に行って株をひとつ購入し、土を洗い流して根だけ新聞紙に包んでカバンに入れて持ち帰った方が効率的なのだけれど、植物防疫上の輸入禁止品でありますから、その行為は立派な犯罪であります)
そういえば道楽用のパイプ・ハウス内に4本ずつ輪ゴムで束ねて洗濯ロープに干したオヤマボクチの葉、累計2326枚。壮観。こんなに干してどうするというのだ。度が過ぎているというか、常軌を逸してはいます。
こんな葉っぱを干していると、「何やら栽培禁止植物を栽培している怪しい犯罪者」の雰囲気ではありませんか。裏のK根さんちのみなさんに怪しまれなければいいのだけど、(^_^;)
ネット・オークションである中古機械をウォッチング中。
510円でスタートしたものが今5250円。20000円までなら応札しようと考えているが、まだ入札はせず、ひたすらウォッチング。
オークションというものは案外「忍耐」が肝要。じっと我慢して、ここぞという時に応札し、それでダメだったら潔く撤退。
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