2008年6月12日木曜日

実にOyamabokuchiな夜

 今日、外回りの仕事から帰宅途中、なじみの書店に立ち寄り、文〇界を立ち読み。冒頭の、同人誌のネットワークについての部分を読み、それから国土地理院発行の1/25000の地図を2枚購入。今回は関東平野と信州の境界を形作っている小さな山々が収録されているエリア。
 この頃、国土地理院発行の1/25000の地図を眺めていると、さながらGoogle Earthで上空から地形を俯瞰しているように見えて来るようになった。小さな沢の上流にwasabiが群生していたり、日当たりの良い南向きの斜面にoyamabokuchiが銀色の葉裏を光らせていたりする光景が見えたり。(ほとんど幻視に近いイマジネーション!!)

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 6月5日に山で採取して来たOyamabokuchiの葉が乾燥し、触れればパリパリと音を立てるようになって来たので(写真右側の2枚。左の1枚はまだ生乾き。この葉の表の緑の部分を取り除き、裏の白い毛のような茸毛【じょうもう】だけを取り出す。)、精製作業の準備にかかる。

 無論、抜かりなく、iPodでバッハの『マタイ受難曲』のなかの、聴いているだけで死にたくなるような、聴いているだけで生きたくなるようなアリアである、「憐れみ給え、わが神よ」を聴きながら。
 私が、アンドレイ・タルコフスキーという名の、あのJ・オウエルの『1984』という近未来小説に喝破されたような、不自由きわまる社会主義(共産主義)国家の下で、それでも傑作映画を撮影したあの映画監督を愛してやまないのは、多分彼が映画監督になる以前に音楽家になりたかったという事実、あるいは比類なきバッハ好きということが重要。エイゼンシュテンとタルコフスキーを生んだ。それだけで旧ソ連は肯定できる? いや、そうとも言えないのが苦しい。1984的世界の中で、どうしてエイゼンシュテインやタルコフスキーが生まれたのか? それを想像すればかの国も少しは捨てたものではないと思う。


 昨秋のように手で揉んでというには葉の量が多いので、機械を利用することとし、Y電機へ行ってフードプロセッサーなる機器を購入。実はわが家は未だにハンドルを手で回す手動タイプの、その名も「みじん切り器」なるものしか所有しておらず、自分の趣味道楽のためだが家庭でも役に立つので電動式を購入することに。
 それで、今夜、早速、中心の葉脈を取り除いた葉をフードプロセッサーに押し込み、蓋をしてスイッチ・オン。お、おお、次第に粉砕されて緑色のふわふわした固まりになってゆく。それをホームセンターで購入した「園芸用篩」に付属していた3枚の網のなかでいちばん目が細かいものをセットし篩う。おお、葉の表の葉緑素が抹茶のように細かくなって篩の下へ落ちてゆき、葉裏の白い茸毛は残っている。それを何度もフードプロセッサーにかけ、篩にかけを繰り返しているうちに、徐々に緑色が薄くなってゆくではありませんか。やはり、昨秋、急遽、収集して来た茶色に枯れた葉よりも、6月の若い葉の方が、表の緑の部分と裏の白い茸毛の分離が簡単である。

 あ、そうか、しまった。どうせフードプロセッサーを買うのなら、プロの調理師たちが使う業務用のものをリサイクル・ショップで探せば良かった。もっと容量が大きいしパワーも強いはず。厨房用品はリサイクルショップのメイン商品だから探せば必ず見つかるに決まっている。あ~あ。


080611oyamabokuchijyoumou.jpg
 
 今夜はこの程度で作業終了。
 それにしても、この状態から緑色の部分をすべて取り除き、真っ白な茸毛だけに精製するのは至難のわざであります。最後は鍋で8時間も煮て、さらに水を用いて不純物を洗い流すのだけれど......君ィ、小説を読まないで何をしとるのかね?
  ワ、ワタシハ......現実ト虚構ノドチラモ大切ニシタイ、タダソレダケガ望ミナノデス。ソレ以外ハ何モ望ンデイマセンノデ、オ代官様、神様、仏様、コノツマラナイブログの読者ノ皆様、ドウカ、オ赦シクダサイマセ......




 実に興味深いブログを発見。パソコンで同人誌を編集していると、ふと後ろを向くとこういう世界が広がっていたりする。

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