2007年10月24日水曜日

實際に起ったことを描くのではなく

 妙な癖で、行き詰まるとアリストテレスの『詩学』をぱらぱらめくって読む。それも、古い松浦嘉一訳だ。通読はしない。自分に都合の良い場所だけ読む。

第三章
 これらの藝術に於ける第三の差別は、對象の各々が模倣される形式から生れる。模倣の同じ媒材と同じ對象とが与えられても、詩人はある時は叙述体に、ある時はその人物になりきって物語ることが出来る。ホメロスのごときはそれである。或いは詩人は態度を一貫して、變へないでゐることも可能である。或は模倣者達(俳優)は全物語を戯曲的に、あたかも、彼等がそこに描かれたることを實行してゐるかの如く、模倣することも出来る。それ故吾吾が巻頭に於いて述べた如く、これらの藝術の模倣は、三通りに区別される。即ち、如何なる媒材で、さうしていかなる對象を、さうして如何なる形式に依って模倣されるかの三点である。

第九章
 以上に述べたことから、詩人の仕事は、實際に起ったことを描くのではなく、起り得ること、即ち、蓋然、もしくは、必然的に、可能なことを描くことである。


 紀元前にすでにこういうことをきちんと把握していたひとがいたなんて、涙が出るほどの感動です。

 タルコフスキーの遺作となった「Sacrifice」のビデオかCDが無いかと探したら新品は無しで、中古がずいぶん高価だった。
 レンタルショップにあればいいのだが、田舎のレンタルショップはねェ。
 そういえばその影響だけでなく、バッハの「マタイ受難曲」を聴いてみたくなったが、全曲通して聴くのはつらい?
 せめて、「Sacrifice」のTrailerでも見て寝よう。

0 件のコメント:

コメントを投稿