すなめりさんのコメントに触発されて、ドライトマト作りに挑戦してみた。先日のミニトマトを洗い、二つに切り、岩塩を振り、籠に並べて日の当たる場所へ。時間にして30分もかからない。
夕方、ひとつつまみ食いしてみたら、まだ柔らかいけれどいい感じ。もともと完熟なので乾燥するとさらに味が濃縮されるようです。
4種類のミニトマトを使ったので、ちょっとにぎやか過ぎ。
5日ほど乾燥させればよいらしい。黴が発生したり、腐ったりしなければいいのですが。
ロダーリの光文社古典新訳文庫『猫とともに去りぬ』(関口英子訳・533円+税)。
「猫とともに去りぬ」、「社長と会計係 あるいは自動車とバイオリンと路面電車」、「ヴェネツィアを救え あるいは 魚になるのがいちばんだ」の3作を読んだ。
ある種のバカバカしさを受容出来ないとこの一冊を読み通すことは出来ないかもしれないというのが、先ずは率直な感想。
「猫とともに去りぬ」は、家族に話し相手になってもらえないアントニオ氏が家出をし、古代ローマの遺跡に多くの猫が棲みついている、アルジェンティーナ広場に行き、猫になってしまう。その猫になる瞬間の描写。
石段をおり、猫の縄張りと自動車の縄張りを隔てている鉄柵を越えると、かれの姿は猫になっていた。有無を言わせず、つべこべ言わせず、たったこれだけ。この上なく簡潔な変身である。カフカのザムザは目が覚めたら虫になっていたが、アントニオ氏は鉄柵を越えただけで猫になってしまったのだ。
要するに、これこそが文学の力、言葉の魔力に他ならないのだが、この言葉の不条理、というか不合理をのみ込めないひとは先に読み進むことが出来なくなる。
しかもこの広場の猫たち、星座に大熊座や小熊座、蛇座、山羊座や牡羊座、さそり座、犬座などがあるのに「猫座」が無いことに抗議して、ミャーミャーと抗議デモまで始めたりするのである。
他の二作も含めて、こういう類のバカバカしさを笑えるか、笑えないか、読者の感性と知性も試されているような気がして来ます。
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