また新雪が積もったようです。
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用事があってTさんの家に行ったら、春休みのせいか、遠くで暮らすお孫さんたちが来ていた。
あいかわらず、認知症がかなり進んでしまっている奥さんが「何の歌が好き?」という問いかけを発するのだが、お孫さんたちは黙って笑っているだけだった。
私は訊かれるたびに「石原裕次郎の赤いハンカチ」と答える。たまたまお邪魔した時にTさんの家のCDラジカセで流れていたことがあるので、奥さんも馴染んでいるだろうと考えてこの曲にしている。
いつも、お邪魔している間に、30回とか、40回、もっと頻繁に訊かれるが、必ず答える。答えは同じでも構わない。とにかく必ず答えることが重要だ。
だがお孫さんたちは困ったような顔をして笑っている。一度、答えがないので奥さんがこたつ板を叩いたのを見た。やはり、答えて欲しいのだ。聞いて、すぐに忘れてしまうにしてもである。
植物育種学の参考書、ようやく安い古書を発見し注文する。日本の古本屋では以前に比べて「前金制」のお店が急増している。気持ちは解らないでもないが、少し足が遠のく。それに価格もネットで検索して値付けするためか、高値安定な傾向。ということで今夜もAMAZONで検索して送料込みでも1000円ちょっとの古書を注文した。植物遺伝学の参考書は古書が見つからないので今夜は断念。
iTuneを開いてランボーの「 L'etoile a pleure Rose」を聴こうとしたら、再生回数が何と209回(!!)だった。それにiPodで聴いた回数を足せば、いったい何百回聴いたのだろう。
ひとつの曲をこんなに聴いたのは生まれて初めて。
次に多いのはジャン・コクトーの「La mort n'agit pas elle-meme」。どちらもGoogleで検索してもほとんどヒットしないフランスの女性歌手であるColombe Frezinが唄っている。ついにColombe Frezinの歌だけを集めたCDを一枚焼いてしまった。
過ぎたるは及ばざるがごとし。
ギュスターヴ・フローベールが「ボヴァリー夫人は私だ」と言ったのに倣って、「ブヴァールとペキュシェ」は私です、と、自白せねばならない。どうしてこんなに意味がないことに夢中になってしまうのだろう? 意味のあることを避けるため?
今夜、ネットで知己を得た若い書き手の方から、二年前の旧作に批評をいただいた。痛いくらいに的を得た批評で、久々にうれしい興奮を感じた。
存在に関する絶望的諦念はロマン(小説)を生まず、アリア(詠唱)しか生まない。それはどこまでもアリアであって、断じて小説ではない。そう自省していたので、そこをずばり指摘されて、かえってすっきり爽快。
そこからの突破口は、ある種の文体上のアプリオリな試みよりも、登場人物自身の意志であり、行動であってほしいと、勝手ながら一読者である私は思った次第です。
十二分に、ありがとう。
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