2008年9月4日木曜日

小説の力の源は

 ぼくはある日、


 と書いたまま、原稿はまったく前へ進まず。

 よく考えてみれば、昔は起承転結をきちんと決めて書いたものだったが、いつからか、どう終わるのか見通せないまま書き出すようになっていた。自分がどこへ行こうとしているのかも判らないままに電車に乗ったり、船に乗るようなもので、心もとない。
 ただし、最初からどこに行くのか判っている旅に出たいとは思っていないので、それでいいのだけれど。
 「ぼく」ひとりでは発展性が無いのでル・クレジオのシャンスラードとミナを想起したのだったが、映画「ボニーとクライド」も連想される。自分たちが誰なのか、どこへ行くのか、判らない若者?
 いや、むしろ老人にした方がいいのだろうか。
 シャンスラードとミナ、ボニーとクライドが現代まで生きながらえて、この時空をさまよう。もう先が無い老人ふたりのあてどない暴走? おお? これも一種の「ユリシーズ」じゃありませんか。

 そんな小説、書けませんよ。

 むしろもっと強く書きたいと思っているのは、現代の「バッコスの信女たち」なのだけれど、これを書くと女性に総スカンを食らうこと必定なので、これも書けません。J・コルタサルも現代の「バッコスの信女たち」を書いたが、あれではまだ甘い。
 なんて、書けない小説ばかり......(泣)。
 荒唐無稽な神話であってもいいのだ。
 小説の力の源は、あったことをあったように書くという単純なリアリズムにあるのではなく、あろうはずもないことさえさもありそうに書いてしまうという強力な想像力にある。

 (相当に誇大妄想な記事なので、明日の朝には恥ずかしくなって、多分、削除)




 サドの「悲惨物語」を古書検索したら、600円から45000円という価格差にあきれながら、最安値の福岡県の古書店に注文した。九州の古書店はおおむね価格設定が良心的。
 版元は昔懐かしい「現代思潮社」。

 そういえば赤坂真理さんはどうしているのかと検索してみたら、新刊はなかったが「彼が彼女の女だった頃」が目についたがすでに絶版。探したらさるオークションに出品されていたので入札。
 「LOVE&SEXをめぐるナイン・ストーリーズ」というのがキャッチコピー? ナインストーリーズなんて、使っちゃいけませんよ。
 赤坂真理さん、もうコラムやエッセイだけで、小説は書かないのかな? 

2 件のコメント:

  1. 女性に総スカン・・・
    書いてみてください。 
    ああだ こうだって 考えをめぐらしているのを
    読むのもなかなかおもしろいです。

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  2. ありがとうございます。小説について、ああでもない、こうでもないと書き付けていると、だから信州人は理屈っぽい、小説は理屈で書くものじゃないなどと言われそうです。
     でも、ギリシャ悲劇全体がそうですが、「バッコスの信女」などは、憑依した母がわが子を殺すなど、人間に主体性などないのだとことさらに宣告されているようなもので、気が重いですね。最後に状況が把握できたあとのセリフはみごとです。
     イタリア、ギリシャ、スペイン……、もっと若いうちに一度行っておけばよかったと思います。

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