2008年9月12日金曜日

ひとつの綺想として

 昔、二段組の上の段と下の段で、別の視点で別の人物を描いたことがあった。
 今、同じように二段組の上と下で、同一人物を外側からと内側からと同時に描いてみたい、そういう綺想にとらわれたが、今はそんな小説の構想を広げている余裕は無いのでメモするにとどめておこう。
 
 どうにもつまらないことを考えるものだ。
 G・グールドのポリフォニーの影響が大きすぎる。

 存在と世界は、一個の視点では到底捉えきれない。多分もう、固有で単一な物語など成立しえない地点まで、私たちは来てしまっているのだ。。
 可能な限りの、ありとあらゆる視点を動員しなければ存在と世界を表現しえない。
 「私」というひとつで固有の視点からのみ語られた「私小説」が胡散臭いのと同様、三人称の彼であれ、固有名詞であれ、ひとつの固有の視点からのみ語られてゆく物語など、やはり眉に唾を付けずに読むことは出来ない。書き手としても読み手としても、この上なく不幸です。

 まだ題名さえ貰えなかった未生の小説に、『様々な場所にあなたはいて』、あるいは『様々な場所に彼はいて』という名が冠せられ、同人誌の二段組のレイアウトでようやく見開き2頁までイマージュ。ということは、一人称、二人称、三人称jの、その果てには四人称がありうる?
 体裁だけJ・ジョイスの真似して、段落ごとの改行はしても段落内の改行一切無しというのは、無謀ですよ、君。




 市内のY書林から塚本邦雄の「残花遺珠 知られざる名作」という本が出ているのを思い出した。
 特別サイン本は高価なので、そうじゃない普通の版がまだ在庫があるかどうか、メールを入れてみよう。




 詩人のHさんから配偶者に葉書が届き、詩誌のレイアウトやフォントにまで触れて下さり、なおかつ文末に「ご主人によろしく」と、いつものありがたい言葉が記されていた。
 十年か、もっと前に、Hさんとマツタケ山の小屋で宴会をした。マツタケは美味しかったし、お酒もうまかったし、楽しかった。

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