かつては豆や米を挽いたという石臼です。ただしすでに庭に埋められて数十年になるので、あるのは石臼の上下だけで芯棒は腐ってしまったか、無い。測ってみると直径ほぼ40mm、長さ170mmの丸くて堅い材質の棒が必要。ホームセンターの木材売りに行ってみたが、35mmとか50mmはあるが40mmがなぜか、無い。
そこでしかたなく折れた物差しをポケットに入れておいて、木製の丸い棒を見ると手当たり次第に直径を計測。シャベルの柄が材質が堅そうで太さも近そうなので測ってみると、やはり35mm。5mm細いと緩すぎてガタガタ。まあ、もう少し探してみましょう。あとは石臼を回転させるためのL字型の棒。これは握りの部分が丸ければ、ほかの部分は角材でもよいので、握りの部分を削ってもいい。
そんな石臼で何をするのだ、って?
(皮付の玄蕎麦を少し入手して、そば粉に挽いてみるのです。それでちゃんと蕎麦が打てるような粉が挽けたら、来年は自家用の蕎麦を栽培してみたいのです、よ。)
昼食後、書店へ。先ずは文○堂へ。光文社新訳文庫、ありました。「海に住む少女」はありましたが、コピーを読んだだけでも面白そうな「猫とともに去りぬ」は見当たらず、残念。代わりに、ちくま文庫の「超短編アンソロジー」を買ってしまいました。ルイス・キャロルの「代名詞の迷宮」なんかが収録されているものですから、つい。
岩波文庫、ビューヒナーの「ヴォイツェク」はこの店では見当たらなかったので、地元書店へ廻ってみるとありました。
それにしても、以前にも書いていますが、「ヴォイツェク」の結末近くの、老婆のシュール極まりないおとぎ話の部分を、もう一度アップしてみます。戦前の白水社版・青木重孝訳と、河出版ビューヒナー全集新装版の内垣啓一訳、そして岩波文庫版の岩淵達治訳です。
先ずは青木重孝訳
マリー お婆さん、何かお話をして!
子供たち おばあさん、おばあさん、お話をしてよ! しつ! お婆さんお話をするのよ。しつ。お話をしてよ、おばあさん!
老婆 昔々……(子供たち老婆の周りに立つたり、しゃがんだりする。マリーも交る)昔々、可哀さうな子供がゐた、お父さんもお母さんもゐなかつた、みんな死んだのだよ。そして世の中には誰もゐなくなつた。みんな死んだ。そこでその子は探しに出かけた。晝も夜も。ところがこの世にはもう誰もゐなかつたので、天に昇ろうとした、するとお月様がその子を優しくごらんになつた、ところがその子がやっとお月様の所へ行つてみたら、それは一本の腐つた木だつたとさ。そこで今度はお日様のところへ出かけた、
そして着いてみるとそれは萎んだ向日葵の花だった、今度はお星様の所へ行った、ところがそれは串刺しにされた小さな金色の蚊だつたとさ、ちやうど鵙(もず)がリンボクの棘へ蚊を刺しておくやうにだよ、
そこでもう一度この世へ歸らうとしたら、この地球はひつくりかえつた瓶(かめ)だつたとさ――そしてほんたうに獨りぼつちになつて、坐つたまま泣いてゐた、今でもそこに坐つてゐるんだよ、ほんたうに獨りぼつちでなあ。 (青木重孝訳「ゲオルク・ビューヒネル作品全集」昭和16年・白水社)
続いて内垣啓一訳
老婆 むかしむかし、それはかわいそうな子供がいたんだよ、お父っつあんもおっ母さんもいなくてね、みんな死んでたんだよ、この世にはもう誰もいなかったのさ。みんな死んでたんだよ、だからその子は出かけてって、夜も昼もさがしたのさ。だがね、この世には誰もいなかったので、その子は天にのぼろうと思ったんだよ。するとお月様がやさしく照らして下さった、やっとその子がお月さまのとこまで来てみるとね、それは腐った木のかけらだったのさ、こんどはお日さまのとこへ行こうとした、その子がお日さまのとこまで来てみるとね、それは枯れたひまわりだったのさ、こんどはお星さまのとこまで来てみたら、それはちぃいちゃな金色(きんいろ)の油虫だったのさ、まるでもずがすももの棘にさしとくように、串刺しになっていたんだよ、仕方がないのでまた地上に帰ってみるとね、それはひっくり返った壺だった、だからその子はほんとにひとりぽっちになって、そこに坐って、泣いたんだよ、いまでもその子はそこに坐って、ほんとにひとりぽっちでいるんだとさ。 (内垣啓一訳「ゲオルク・ビューヒナー全集」新装版、河出書房新社2006年)
最後が岩淵達治訳
老婆 昔かわいそうな子どもがいてね。父親も母親もいない、みんな死んでしまってこの世にはもう誰もいなかったのさ。みんな死んでしまったので、その子は出かけていって、夜も昼も探したのさ。でもこの世にはもう誰もいなかったので、天に昇ろうと思った。お月様が優しく照らしてくださったので、やっとお月様のところに行ってみると、それは腐った木のかけらだった。今度はお日様の所へ行こうと思って、お日様の所へ行ってみると、それは枯れた向日葵(ひまわり)だった。今度はお星様の所へ行ってみたら、それは小さな金色の油虫(あぶらむし)だった。百舌(もず)が李(すもも)の棘(とげ)に突き刺しておくように串刺しになってたんだよ。それで仕方なく地球に帰ってみると、それはひっくり返った壺(つぼ)だった。だからその子はほんとにひとりぼっちになって、なかに坐って泣いたんだよ。今でもその子はそこに坐ってひとりぼっちでいるんだとさ。 岩淵達治訳「ヴォイツェク ダントンの死 レンツ」(岩波文庫2006年10月17日)
ちなみに、光文社新訳文庫には「カラマーゾフの兄弟」も入っていて、気になってそちらも覗いてみましたが、「ですます」ではありませんでした。
返信削除じつは、以前エウリピデスさんに勧められたブログを、先日からこっそりと私もはじめてしまいました。今のところ、まだまだ恥ずかしいので、こっそりのままにしておきますが、そのうちリンクを貼らせていただけましょうか?
といっても、読書の備忘録として、日記の域をでないので、友人をふくめて、公開するかどうかさえ私のなかで未定ですが。
お言葉に甘え、「愛読ブログ」として、しっかりリンクを貼らせていただきました。
返信削除ところで、「ヴォイツェク」のおとぎ話、岩淵新訳もよいではないですか。けっこう私は好きなリズムだなぁ。接続詞がすくないのが、気になるのは、以前の訳を見るからでしょうね。
接続詞を極力省くというのが、小説作法にあるそうですが、個人的には接続詞を多用してしまう私。接続詞はむしろ好きなのですけれど、この文章はテンポがよいと感じました。原文はどうなんでしょうね?
それから、「アルファとオメガ」。その存在や、概略は聞き知っていたのですが、翻訳、楽しみにしてます。是非読ませてください。お願いします。
なお、今回だけ、URLを載せておきます。
ごめんなさい。情報登録しないにしたら、名前もURLも消えちゃいました。
返信削除というわけで、↓です。
Lydwineさん、ブログ、拝見してきました。読んで書く、という理想的な形で始まっていますので、期待しています。
返信削除こちらからもリンク張りました。
「アルファとオメガ」はネット版には載せない予定です。
印刷版をお送りしますので、そちらでお読み下さい。
ももさん、オペラ「ヴォイツェク」のサイトURL、ありがとう。
返信削除この「ヴォイツェク」は断片化していたものを後世の研究者がつないだものらしいですが、オペラと芝居では冒頭のシーンが異なると文庫の解説で岩淵さんが書かれています。
オペラ台本の方の「ヴォイツェク」もどこかで(音楽の友社?)出版されていたように記憶していますが、そこまで手が回りません。
でも、ビューヒナーが読めるようになったり、藤原竜也主演のせいか蜷川演出の「オレステス」がらみの記事がブログ上にたくさん登場して、この頃ご機嫌ではあります。