もしあなたがどうしてもそれを知りたいなら言うのだが、わたしは本当は生まれないほうがよかった。人生とはくたびれるものだと思う。勿論、今となっては手遅れで、わたしには人生をどうする力もない。しかし、わたしの心の底には、生まれたことを悔やむ気持ちがいつまでも残るだろう。
こんなことを、誰が書いたのか。
「調書」でルノード賞を得た二年後に出した短編集「発熱」(高山鉄男訳・新潮社)で、ル・クレジオが9つの短編の前に「手紙―序文」という2頁の文章を置いていて、その冒頭の言葉である。
この時、かれはまだ弱冠25歳だったはず......。
その終わりに近いところでさらにこんなことも書いている。
詩とか長編とか中篇小説などというものは奇妙な遺物で、もはやだれも、あるいはほとんどだれも騙されはしない。詩だのレシ(物語)だのをなんのために作るのだろう。エクリチュール(文体)、もはや文体しか残っていない。言葉によって手探りし、綿密にかつふかぶかと探求し、描き、現実にしがみつき、現実を仮借なく痛めつける文体だけがある。
うーむ。
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