2010年11月27日土曜日

小説には毒気が必要

 秋も終わり。ようやくいろいろな仕事が片付いて来た。人参、総太り大根、ねずみ大根、野沢菜につづいて下仁田ネギ、長ネギの収穫を最後に、家庭菜園、蕎麦栽培地も耕せばいいだけになった。
 そういえば、先日大根やネギを採りに来た従姉が、便秘対策にとすでに霜でグニャリとなっているルバーブ(ネイティブな発音ではルーバーブ)のなかからまだピンとしている茎を少し採っていったらしいが、砂糖漬けにするつもりが少し火にかけたら溶けてジャムになってしまったけど、とてもおいしかったので、もう少し採らせてもらっていいかという電話。
 薬用ダイオウもだが、食用ダイオウであるルーバーブにもその豊富な繊維のせいか、あるいは蓚酸などの他の成分に拠るものなのか、便秘の解消=健康=美容となるらしい。ただし、だからといってルーバーブ・ジャムなどでは毎日接種しては含まれる糖分でもって糖尿病になってしまう懼れがある。この酸っぱい繊維だらけの植物を、どうしたらそういう弊害無しに摂取出来るかと考えていて、ふと「ピクルス」を想起していた。そこで「ルバーブ・ピクルス」で日本語検索したら一件ヒットし、さらに英語で検索したらぞろぞろヒット。そうでした、ピクルスだとジャム同様にビンに保存できるのでした(アイデア、閃き)。

 その後まもなくT屋さんからも電話があり、何と物置から昨年の玄ソバが一袋20kg出て来たけど製粉できない? って。え? む、虫が食っていません? (ーー;)
 とりあえず磨きをかけてみることにして、T屋さんの物置からその紙袋を持ち出して来て、循環式精米機で磨きをかけてみた。そして、殻がむけた蕎麦の実を噛んでみたが蕎麦の味も風味も感じられなかったのでこれはダメかと思ったが、殻がむけた蕎麦の実を3個まとめて噛んでみたら蕎麦の味も風味も感得出来たので、暇を見て製粉してみよう。 

 そして午後、さらに高校時代の同級生から電話があり、来週、越後の十日町へ「へぎ蕎麦」を食べに行くけど行かない? とお誘いを受けた。「へぎ蕎麦」は海藻のふのりをつなぎにした蕎麦である。
 行ってみよう。
 以前、オヤマボクチに手を焼いてフノリをつなぎに蕎麦を打った記憶がありますが.....でも、あれ、.美味しかったけ?




 先日から読んでいた同人誌、ほぼ読了したが、感想が書けない。
 若い作者が多いのだろう、作品の印象が良くも悪くもVividで少し毒気に当てられたらしい。いつのまにか自分が年老いて枯れてきているからこそ感じる毒気であり、かつては自分だってこういう毒気が芬々としていたに違いない。
 いや、そうでなくて、小説には毒気が必要なのだ。毒気のない小説など気の抜けたサイダーより不味い(なんちゃって)。
 出典が見つからないので困っていますが、三島が太宰の小説を評するのに用いた「赦す作家と責める作家」という概念に即して言えば、責めるからこそ毒気が生じるのだし、こういう存在でしかない人間を赦そうと思えばどこまでも赦せる。
 文学はこういう存在でしかない人間を赦して癒しもし、同時に責めもする。そのどちらを文学の本道とするかは、またひとりひとりの判断に委ねるほかないだろう。
 少し時間を置かないと感想が書けないみたいだ。


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