2010年8月7日土曜日

この期に及んでなお

 往生際が悪いことこの上ないのだけれど、牧野信一の「ゼーロン」、「西部劇通信」、「月光と吊籠」を再読した。
 どれも、ギリシア牧野の本領が発揮された虚構(フィクション)である。
 その一方で、牧野信一は私小説的な作品も書いているし、その死に方もギリシア牧野には似つかわしくもなく、きわめて日本的=私小説的な自死を遂げている。そういった意味では、表向きは西洋の智を学んだにもかかわらず、日本的=私小説的な自死を遂げざるを得なかった牧野信一は、後代の激烈自死文学者であった三島由紀夫の先駆けであった、と言えないこともない。
 虚構の彼方に飛翔しようとする者ほど、現実や日常に足を掬われる。
 現実や日常に掬われて滅亡するにしても、それを補って余りある小説が書ければすべてOKなのだけれど......。

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