2009年2月5日木曜日

精神のロマン?

 昨夜はグールドの「ゴルトベルク変奏曲」を聴きながらパソコン。
 今夜はほんとうに久しぶりに「ブランデンブルグ協奏曲」聴きながらパソコン。
 いつもは目が回るようなカノンやフーガを聴くことが多いので、整然とした「ブランデンブルグ協奏曲」がかえって新鮮で、昔さんざん聴いた3番をまた繰り返し聴いてしまった。
 その後、さらに「マタイ受難曲」のなかのErbarme DichをYou Tubeで検索したら、こんなにあるのというくらいあり、順に聴いてゆくのが楽しみ。
 (自分が死んだら、斎場でクルト・レーデル指揮・ミュンヘン・プロ・アルテ管弦楽団の「音楽の捧げもの」のなかの「王の主題による各種のカノン」か「無限カノン」を流してもらうのが唯一のお願いでしたが、葬儀無しで、火葬の間にこのErbarme Dichを流してもらうだけでいいような気がして来ました。今のうちにCD-Rを作っておこう)




 実に唐突だが、意識は流れるものではないと思っている。
 だから、「意識の流れ」という手法とはちょっと違う。違うけれど、「意識」を「精神」と言い換え、その動きをロマンと捉えて描写する。
 「精神」が感じ、考え、動き、闘争し、様々なムーヴメントを起こす、それが小説という名のロマンなのだと、そういう小説を以前から夢想してきた。
 われわれに残されているのは、フランス語で言う「レシ」ではなく「ロマン」。それも人間を外側から描くロマンではなく、内側から描くロマンなのだ。
 ヴァージニア・ウルフ、ジェームス・ジョイス、ウィリアム・フォークナーを読んできたのも、そういう視点からだった。
 突き詰めれば、人間を外側から描くのも内側から描くのも同じなのだろうけど。

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