こごみは以前知人から10株ほど頂戴して畑の真ん中に植えたのですが順に消滅して行き、最後の一株になった時に、もっと畑の隅で半分日陰になる場所がいいと言われて場所を移したところ、爆発的に株が増殖し、この時期になるとしばらくはこういう風に収穫できて楽しめます。といっても、さっと湯通しして鰹節と醤油でいただくか、洋風にドレッシングでいただくくらいですが。正式にはクサソテツの新芽をこごみというのですが、人間は羊歯類の新芽を食べちゃうんですね。昨年植えた蕨も元気に増殖中で、顔を出した芽を数えたら30本くらいありました。
などと書くと相当の山の中に住んでいるように思われるでしょうが、長野新幹線S平駅まで車で5分の場所なんです。が……市の中心に牧場があったり、かなり広い工場跡地があったり、町の西半分は大型ショッピングセンターが大賑わい、町の東半分の旧商店街はすっかりゴーストタウンと、何かアンバランス極まりない、ヘンな市ではありまする。
本日、「照葉樹」3号、メール便にて到着。しかし、本当に一日くらい届くの遅くても、厚さ1cm未満は80円というメール便の価格設定は文芸同人誌にかかわるものには驚異的である。封書と同じ価格で同人誌が送れるのだから利用しない手はありません。
ところで、わが誌の新しい印刷所は、月曜日以降、また音無しの構え。何日頃仕上がる予定ですとか、そういうきめ細かい対応はないの? 仕事を始めるとそれだけに没頭しちゃうタイプなのでしょうか?
ま、来週みたいですね。
クロエさんが昨年6月に「ヴォイツェク」のさびしい童話について書かれ、引用されていますが、私もこの童話に感銘を受け、昨年5月30日に書きました。同じ場所で歩みを止め、ひとりの孤独なこどもをみつめた方がいたと知り、うれしくなりました。旧記事を未読の方のために、その記事をもう一度ここにコピーペーストします。
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その価格に毎日煩悶懊悩、幾度となく心臓麻痺を起こしそうになりながら(!!)、本日ついに入手。顔面蒼白です。
発行2006年5月30日(すなわち本日)。
早速27日にご紹介いたしました「ヴォイツェク」の老婆の昔話を読んでみました。
先ずは昭和16年発行の旧訳をもう一度ここにコピーペーストします。
マリー お婆さん、何かお話をして!
子供たち おばあさん、おばあさん、お話をしてよ! しつ! お婆さんお話をするのよ。しつ。お話をしてよ、おばあさん!
老婆 昔々……
��子供たち老婆の周りに立つたり、しゃがんだりする。マリーも交る)
昔々、可哀さうな子供がゐた、
お父さんもお母さんもゐなかつた、
みんな死んだのだよ。
そして世の中には誰もゐなくなつた。
みんな死んだ。
そこでその子は探しに出かけた。
晝も夜も。
ところがこの世にはもう誰もゐなかつたので、
天に昇ろうとした、
するとお月様がその子を優しくごらんになつた、
ところがその子がやっとお月様の所へ行つてみたら、
それは一本の腐つた木だつたとさ。
そこで今度はお日様のところへ出かけた、
そして着いてみるとそれは萎んだ向日葵の花だった、
今度はお星様の所へ行った、
ところがそれは串刺しにされた小さな金色の蚊だつたとさ、
ちやうど鵙(もず)がリンボクの棘へ蚊を刺しておくやうにだよ、
そこでもう一度この世へ歸らうとしたら、
この地球はひつくりかえつた瓶(かめ)だつたとさ――
そしてほんたうに獨りぼつちになつて、
坐つたまま泣いてゐた、
今でもそこに坐つてゐるんだよ、
ほんたうに獨りぼつちでなあ
��青木重孝訳『ゲオルク・ビューヒネル作品全集 ダントンの死 外四篇』白水社・昭和16年、より)。
河出書房新社新装版「ゲオルク・ビューヒナー全集」では以下の通り。
老婆 [じゃみんなおいで、子供たち!――] むかしむかし、それはかわいそうな子供がいたんだよ、お父っつあんもおっ母さんもいなくてね、みんな死んでたんだよ、この世にはもう誰もいなかったのさ。みんな死んでたんだよ、だからその子は出かけてって、夜も昼もさがしたのさ。だがね、この世には誰もいなかったので、その子は天にのぼろうと思ったんだよ。するとお月様がやさしく照らして下さった、やっとその子がお月さまのとこまで来てみるとね、それは腐った木のかけらだったのさ、こんどはお日さまのとこへ行こうとした、その子がお日さまのとこまで来てみるとね、それは枯れたひまわりだったのさ、こんどはお星さまのとこまで来てみたら、それはちぃいちゃな金色(きんいろ)の油虫だったのさ、まるでもずがすももの棘にさしとくように、串刺しになっていたんだよ、仕方がないのでまた地上に帰ってみるとね、それはひっくり返った壺だった、だからその子はほんとにひとりぽっちになって、そこに坐って、泣いたんだよ、いまでもその子はそこに坐って、ほんとにひとりぽっちでいるんだとさ。 (内垣啓一訳・河出書房新社2006年)。
なぜか、先に戦前の青木訳を読んでしまったせいか、旧仮名の旧訳の方に妙な親近感を覚え、愛着さえ感じてしまっているのは、私だけの特異現象なのでしょうか?
前者が詩のような改行をし、後者が散文として改行なしで進んでいる、それだけの違いだけでなく、酷薄な昔話らしさを前者により感じてしまうのです。
注 ほかに岩淵達治訳、岩波文庫「ヴォイツェク ダントンの死 レンツ 』が出ている。定価 840円
私も、昭和16年発行の旧訳のほうが、はるかに良いと思います。
返信削除老婆の、間を置いて語られる言葉が、隙間の空白のうえに、誰かに聞こえるように置かれて、遠いところに谺しているようで、語られている子供の、切ない寂しい泣き声が、耳に聞こえるようです。
こごみって、食べたことがありません。食べたことのない野菜が、そちらには多いですね。
「高菜漬けとか柚子胡椒は、関東に売ってないから、送って」と友達が言っていましたが。
アスパラガスの瑞々しく立派なこと。
美味しいでしょうね~。
ご無沙汰しております。
返信削除旧訳の方が、語尾をはじめ、音感がよく練られていて、ついつい覚えたくなる音ですね。文字をたどれば、作り手の思いが浮かぶような、素晴らしい文章だと思います。
うわぁ、なんだかこの文章から力をもらいました!
Nさん、昭和16年版の青木重孝訳、とても気に入っています。旧仮名遣いも慣れるとなかなかのものです。
返信削除この青木重孝訳のゲオルク・ビューヒネル作品全集」を入手した時のことを、今夜、書きます。
それから、あの本のことも、今夜、書きます。
sunameriさん、ご無沙汰しています。というか、FireFoxのSageに登録してありブログの更新あるごとに読ませていただいていますので、気分はご無沙汰ではないんですが。
IEは普通ですが、FireFoxの方の設定はステルス偵察機並みになっていますので、足跡は残っていないかもしれません。
あ、sunameriさんはドイツがご専門でしたっけ? 余りいい加減なことを書けませんね。
アズ君の里親はまだ見つからないんですね。かわいい目をしてるんですけどね。