4月6日に亡くなられた武井さんの最後の作品集が遺族の手によってまとめられ、「偲ぶ会」で配られたはずだが、仕事を休めず欠席した私にまで送られて来た。二作、収録されているが、どちらも同人誌で既読の作品である。
ほぼ一貫して自分のこと、しかも自分が関係した女性のことばかり書いて来た、いわゆる典型的な私小説の書き手だった。周囲の人間もそれと判るひとが結構登場させられたが、つまらない男に過ぎなかった私は幸いなことにその災難を逃れた。
書くことと生きることに境界も径庭もないひとだったので、書かれた作品を批評するとなると、どうしても主人公(=書き手自身)の生き方にまで批評が及ぶのは仕方ない。
私小説というものはそういうものである。
生き方まで批評されるのが嫌なら、私小説など書かない方がいい。
ところが、当人ではなく、その北海道に住む友人であり同人でもある人物が、私の批評に噛みついてきたのだった。
いわく、書き手のプライバシーにまで踏み込んで批判するのは、隣の家の中を覗き込むN野県民のいやらしさであると。
はあ? アホ。
「私小説」の書き手がみずから進んで「私」をさらして書いているのだから、その時点で私小説の書き手にプライバシーなど無いのだということが、どうして分からないのだ?!
しかも、N野県民のいやらしさと書いているが、北海道在住とはいえ、自分だってN県生まれのN県育ちで、そんなことを言えば天に唾して自分の顔にかかるようなものではないか。
と、私は怒ったが、私小説作家は友人を支持するという手紙をよこした。私は、しばらくしてからその同人誌の同人から会員へ格下げを願い出た。
そのふたりともここ数年の間に黄泉の国へ行ってしまい、ここに書いたことも今となってはなつかしい思い出だが、同人誌の世界には案外、こういう、生きることと書くことに境界のないひとが多い。人間としては嫌いではないが、物書きとしては私には苦手である。(こういうことを執拗に書くから、反私小説派と目されて憎まれるのである)
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