2007年5月8日火曜日

ようやく面付け開始?!

 長かった連休が明け、印刷会社からメールが着信。
フォントも無事届きました。
問題ないようなので、すすめさせていただきます。
 やはり原始アナログの飛脚の方で届いたものをインストールしたらしく、メール添付やサーバーにアップしたものは、はじかれたり通じなかったりのようだ。が、いずれにしても当方が本文に使用しているメインのフォントが相手方のパソコンにインストールされたのは、めでたしめでたし。
 と、実はこれでようやくスタートラインに立ったようなもの。
 フォントでの躓きはこの印刷会社での印刷の初回である今号だけなので、次号からは円滑に進むだろう。
 いよいよ面付け開始となれば、40号もあと一週間もすれば宅配便で届く、Wahhahha!
 (私はNoストレス、No虎馬の脳天気人間)。

 7&Yから、先に注文してあった「フラナリー・オコナー全短編、上下)が、明日最寄のセブン・イレブンに入荷というメール。
 これは連休も仕事をしていたことへの褒美である。一気通読でなく、ゆっくりじっくり、超スローペースで1篇ずつ吝嗇に読み進めたい。もう新作が書かれることのない作家であるから。

 カウネットにレーザープリンタのトナーを注文。今日発送で、明日配達。物は試し、純正品でなくリサイクル品を頼んでみた。どこか純正品に劣るところがあったら、次回からまた純正品に戻せばいい。
  

 今朝は朝飯前に家庭菜園へ。なぜか豆作りに異常な情熱を燃やす老母のためにモロッコいんげん栽培のためのネットと、きゅうり栽培用のネットをふた張り、張る。
 またここ数年絶好調の「でんすけ西瓜」と「桃太郎トマト」栽培のための床作りとポリマルチ張り。
 半立性の落花生の種まき、1dl一袋(約60粒)。
 あらかじめ播いておいた枝豆の苗20本ほどと、とうもろこし「おひさまコーン」の苗30本ほど植える。
 われながら超人的である。
 それから、相変わらずのルバーブ、しばらく前に花観賞用を除いてすべて切り取ったつもりだったが、今朝見ると蕾だらけなので携帯カメラでパシッ。
 rhubarbtubomi.jpg
 ちなみにルバーブの花、満開になると昨年の画像ですがこんな感じです。
 そういえば、昨年書いた「ルバ酎」ですが、不味くて飲めず、まだビンに入っています。
 おまけにもうひとつ。昨年の6月だったか、この借りている畑の片隅にワラビらしきものが生えていたので、根をもうちょっと畑の中へ植えなおしたら、爆発的に増殖中である。
 もう一週間くらいで採取できるかも。
   

8 件のコメント:

  1. 一日早く、照葉樹が出来てきました。表紙の色が今一です(-"-;)
    でも、もう仕方ありません〜〜。
    夕方、メール便にて発送いたしました。よろしくお願いいたします。

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  2. 「モロッコいんげん」「でんすけ西瓜」「桃太郎トマト」・・・
    半立性の落花生(?)、「おひさまコーン」
    全部分かりませんが、全部美味しそうで、食べてみたいです。
    質問。
    オコナーの短編集は、原文のものでしょうか?

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  3. ありがとうございます。10日には配達になりますね。
     「木曜日」も予定通り発行のようですし、やはり、印刷屋さんは、ぎりぎり約束の日には間に合わせますね。
     当方は印刷所を変えて初めてですし、本文のフォントで躓きました。昨日から作業に入っていると思います。
     表紙の色はむずかしいですね。当方も今回から墨一色から二色にしましたが、大体の色を伝えて印刷所にお任せです。どんな色になるか、考えると怖いですね。 

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  4. 翻訳です。
    「フラナリー・オコナー全短編・上下」、横山貞子訳・筑摩書房(各3,600円+税)です。

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  5. それが....かなり悲しい状態です..。校正のときの表紙の見本とはかけ離れたピンボケ色とおまけに最終ページの挿入の落丁です。
    でももう鹿田内...。幸い、作品に支障はないので〜〜。でも2号とは質がかなり落ちた気がしています。鹿田内デス....。なにごとも勉強させていただいてます。

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  6. >校正のときの表紙の見本とはかけ離れたピンボケ色とおまけに最終ページの挿入の落丁です。
     そうなんですか。校正の時の表紙見本とそんなに違うんですか。他人事とも思えず、怖いです。

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  7. モロッコいんげんは天麩羅が最高です。柔らかくてとても美味しい。
    最近、詩人蜂飼耳さんが何かの雑誌にオコナーの「存在することの習慣」をとりあげて、
    ��9歳で亡くなるまでの日々の軌跡が、言葉のそこから立ち上がる。「田舎の善人」「人造黒人」なその鋭い短編が描き出すのは、読んだら忘れられない、奇妙で強烈な世界だ。何度読んでも、わかる、ということはない。わからなさも面白さの理由の一つだといってしまうと詭弁のようだが、オコナーの魅力は、そういう性質のものだ。」
    と書いておられ、また、
    「小説のなかで暴力や殺人は独特の描かれ方をする。
    「嫌悪感をもつような人間」が出てくることに対しての批判や苦情もあった。けれども、そうした人間のすがたを書くことには意味がある、とオコナーは説く。
    とも付け加えておられます。
    当時のアメリカ南部が、特に人種をめぐっての複雑で独特な緊張感をどこかに孕んだ状況であったこと。またキリスト教の教義が身近な人間としてのオコナーですから、ある長編には、「神」の存在への、人間の奇妙きわまる試行錯誤が書いてあり、私たち日本人には、すぐには実感できないことが多いと感じます。
    「秘儀と習俗」には、その読み方の助けが書いてあるような気がしました。
    短編集は、私は、続けてどんどん読んでいくと、だんだん、妙な気持ちになりました。
    「この小説、つまるところ何を言いたいのか、よくわからないよ~」という部分は、確かにありますね。
    あとの解釈は読者にまかせたよ、といいたげな。
    でも、謎解きのように、あるとき、ああそうなのか!という瞬間があると嬉しい。

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  8. 文学作品を理解するのは無理でしょうね。
     オコナーだけでなくフォークナーもそうですが、人間の言動を描くことだけに専念していて、説明や解説は一切しない。
     読者である我々も、彼らが書いた人間の言動を、読むというより一種のリアルな体験として自分の中に収める。
     それが実体験同様の記憶として残り、以後の人生における価値判断を強化してくれる。それでいいのではないでしょうか。
     理解できない、言葉に出来ない何かが重要? そんな気がします。言葉に出来たらたちまち嘘になってしまう。

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