2007年4月15日日曜日

多重人格者、というよりはマニエリスト?

 4月2日に書いた、現代詩手帖、1996年6月号の『フェルナンド・ペソア 異名者たちの海」を、ようやく開いてみた。
��このところ仕事に追われ放しで常に眠く、もともと読めなくなっている本がますます読めない。多分、この状態がまだ一ヶ月以上つづく)
 しかし、このポルトガルの詩人、とんでもないひとである。
 たとえば、この特集に「フェルナンド・ペソア詩抄」が編まれているが、ペソアという名前のほかにアルベルト・カイエロ、リカルド・レイス、アルヴァロ・デ・カンポスという異なる名前で詩が書かれている。
 『不穏の書』はベルナルド・ソアーレスという名で書かれている。実名で文章を発表したほかに、72あると言われる筆名を用いたという。
 異名者と名づけられてはいるが、これでは多重人格ではないのか?
 かつて多重人格者に翻弄され、一家総出で早朝に自宅襲撃までされたことのある私は、そう考えただけでビビらずにはいられない。多重人格ということばに過剰反応するのでR。いっそ小説に書きたいくらいだが、あまりにリアルすぎ、しかもあまりに人間の尊厳を欠いた、パンドラの箱から飛び出してきた諸々を描写する作業など、する気にもなれない。それをするのが小説家の使命だとしたら、小説などというものは書きたくないと思う。
 あ、書けない理由は、ここにあった、のかも、知れない。

……私は自分のなかに様々な人物を作り上げた。いまも私はたえずこういった人物たちを作り続ける。私の夢の一つ一つは、夢見られるとすぐに例外なく、誰か他人に具現され、この他人はそれを夢見はじめる。それは彼であって、もはや私ではない。
 私を創造するために、私は自分を破壊した。私は私自身の中で、こんなにも私を外化したので、私の中で私はもはや外的にしか存在しない。私とは生きた舞台であって、そこを様々な俳優が通過し、様々な芝居を演じる……
……毎日が今日の日であって、世界に同じことがあったためしはない。同一性が存在するのは私たちの魂のなかだけであって、欺瞞的にではあるが、魂は自分自身との同一性を認識し、これによってすべてが相似し、すべてが単純になる。世界は、分離したものであり、様々な稜線からなるのだが、われわれが近視ならば、あいまいで連続した霧に見える……(『不穏の書』)

 そうか、多重人格というよりは、マニエリストかも知れない。
 『不穏の書』より『不安の書』を読みたい気がするが、こちらは怒濤の5040円(汗々)。

huonnosyo.jpg huannosyo.jpg

    不穏の書(思潮社)             不安の書(新思索社)



 昨日注文した古書が高額商品なので前金だというメールが着信していた。前金の古書は購入しないという慣習を破る訳にはいきませぬwww。

2 件のコメント:

  1. えもとえちか2007年4月18日 7:56

    えと、少し気になったのでカキコミします
    「不穏の書、断章」と「不安の書」は前者が抄訳で元は同じ本だったはずです。
    http://rokugomarunisai.blog15.fc2.com/blog-entry-552.html
    横浜中央図書館に入荷はしているようなのですが二冊とも貸し出し中だったのでまだ確認はしてませんが。

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  2. そうでしたか。えちかさん、ご教示、ありがとうございました。「不穏の書・断章」が抄訳で、「不安の書」が全訳でしたか。
     それじゃ、どんなに高くても全訳を選ばなくてはいけませんね。不穏と不安ととではニュアンスがだいぶ違いますが。

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