2012年5月27日日曜日

天才も年経れば凡才となるのが常だが


妻が今月の「現代詩手帖」を読めと私の目の前に雑誌を置いた。「現代詩手帖の詩人たち」という特集が組まれている。そのなかの帷子耀「まがいものとして」というインタビュー記事を読めというのだ。帷子耀という名前、覚えている。


十代のわずか七年間に詩を書き、第十回現代詩手帖賞を受賞し、そして二十歳以降、ランボーみたいに詩の世界から消えてしまった、あのかっこいい詩人である。その姿は、詩を捨てて北アフリカに流浪し、あえて一介の商人に成り下がったランボーそっくりにかっこいい。
その彼が久しぶりに発した言葉の一字一句を追った。そしてその一字一句に納得した。二十歳以降、彼は普通の若者、普通のおじさんに成り下がったのだが、詩人として生きた七年間以上に、詩などちっとも人生の糧にはならないという意味合いで、私は彼のその成り下がり方にとても感銘している。
人間が生きるということはちっとも詩的ではなく、むしろ地を這いずり回るくらい散文的なのである。







0 件のコメント:

コメントを投稿