『小説の秘密をめぐる十二章』 河野多恵子著
第十章「小説の構造(二) 一人称と三人称」は各項の題からして興味深い。
曰く
人称の選択は慎重に/ 一人称は自分の頸筋が書けない/ 嵐が丘の場合/ 二重の一人称という技巧/ マゾヒズムと人称の関係/ 単元描写と復元描写/
ことに「一人称は自分の頸筋が書けない」ということにはおおいに納得。それがたとえば私小説であってもなくても 一人称である限り自分の頸筋は書けない。
通常、われわれは「私は...」と書かれた一人称の小説の中の「私」をひとつの約束事として疑わずに信頼して読む。そこに登場する「私」を疑ったら小説は読めない。
それがフィクションであればまだしもコテコテの私小説であれば、われわれはその「私」を作家自身だと断定して読む。
しかし、そこに書かれている「私」は、その作家自身がそうだと思っている「私」でしかない。
「首筋が書けない」というのは、要するに「私」が「私」を客観化して書くのはかなり困難なことだという意味合いだろう。
同人誌に発表される私小説を読んで感じる不満は、つねにここにある。
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